2020年 11月 12日
お引越しいたしました
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by mosottto
| 2020-11-12 14:30
| ご挨拶
2020年 01月 05日
年が明けました。
2019年大晦日、御節の仕込みで完全燃焼し、ソファでだらけた。
夜に夫が茹でてくれた年越しそばをすすり、酒を飲み、こたつに寝そべり、21時早々に布団に潜る。
夜中に「お母さん、年が明けたよ、おめでうございます」という子どもの声で目がさめる。
近所の寺から、除夜の鐘が鳴り響く。
ゴーン、ゴーンという響きが子守唄のように心地よく、また二度寝した。
遅い朝に目が覚め、夫が作ってくれた、激甘の白味噌の雑煮と、御節をつまんだ。
食べ終わった後、墓参りに出かける(元旦に墓参りは、夫の家の風習らしい)
清水寺近くにある墓地は、参拝者と観光客とでごった返していたが、これもまた、毎年恒例の景色である。
墓参りの後、六波羅蜜寺に行こうと夫が言い出したので、全国各地から訪れる開運巡りバスツアーの観光客に混じりながら、寺の門をくぐる。
銭洗弁天堂で、金を洗い、「踊りに精進できるよう導いてください」とお祈りした。
実は一昨年から、盆踊りに目覚め、数々の祭りで踊るようになったのである。
浴衣を着る回数が増え、自分で着付けできるまでになってしまった。
なぜか踊りの道へ引っ張られるように事が運び、人生とは摩訶不思議である。
というわけで、去年一年このブログが更新されていなかったのは、
踊り狂っていたためである。
働き倒し、
踊り倒した一年であった。
六波羅蜜寺で正月三が日だけに授与される、弁財天吉祥稲穂をめでたく頂き、夫の実家に向かった。
親戚一同がすでに団欒中で、新年の挨拶を交わすのもつかの間、早々に息子が、
「お年玉のことなんだけどさ」と、親族にアグレッシブに自分からお年玉をねだり出すのを横目に、旨そうな寿司をつまんだ。
百人一首やかるた、トランプなどで一通り遊び倒し、酒が入っていたので、段々と眠くなり、和室で寝転んだ。
気づくと、夫のいびきで目が醒める。
遠くの方で、後片付けをする音も聞こえる。
嫁として、手伝いに行かなければいけない場面だが、酒の力のせいにして、さらにだらけた。
義母が、「もっとゆっくり寝てたらいいで」と言う言葉に甘えまくって、早8年が過ぎようとしている。
よく夫の実家に行くのが苦痛なお嫁さんが多いと聞くが、うちの場合は逆である。
自分の実家のようにくつろがせてもらえる、有難い場所なのである。
ひたすら、猫のようにだらけた。
翌日は日の出を見てから、近所の神社に初詣に出かけた。
三人でおみくじを引き、歓喜の声をあげたのは夫だった。
大吉を引いた夫は、子供のように無邪気に喜んでいた。
ふと自分のおみくじを見ると、目を見開いた。
『凶』
である。
人生で初めて引いた、凶である。
願望も叶わないし、健康も優れない、引越しもだめ、待ち人も来ない。
お前はただじっとしてろよ、と言わんばかりの救いようのない内容ではないか。
人生で凶を引く人をあまり見かけたことがなかったので(大概は平凡な吉や末吉である)、凶なんて引くやつはどんな心持ちになるんだろうかと哀れんでいたくらいである。
実際に自分が凶を引いての感想は、最悪以外の何物でもなかった。
歓喜に酔う夫が、「なにやった?」と嬉しそうにわたしのおみくじを見た瞬間、一瞬で静まり返り、言葉に詰まっていたのを見逃さなかった。
精一杯フォローしてくれた言葉が、
「ま、まあ、これ以上下がることはない、上がるだけや」
だった。
煮え切らない思いで、無言で凶みくじを結び、そのあとも頭がぼんやりとして、
凶、凶、凶、、、
と、凶がわたしの脳裏を支配するではないか。
すると、腹の底から怒りがこみ上げてきたのである。
「なんで正月早々に、嫌な気分にさせられなあかんねん!誰や、凶なんて考えたのは!」
腹が立ってどうしようもない。
そういうわけで、もう一度おみくじを引くことにした。
出たのは吉である。
開運の兆し、と書いてあった。
帰宅し、モーレツに家中を掃除しまくって、やっと気分が晴れたのは言うまでもない。
そういうわけで、もう右肩上がりに上がるしかない、本年ももそっと笑いをお届けすることに、精進したいと思います。
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by mosottto
| 2020-01-05 14:56
| エッセイ
2019年 04月 05日
オンライン写真展 あまてらす。
ひさしぶりの写真展!
犬との暮らしが去年から始まり、真冬の朝散歩に何度も萎えそうになる中、わたしの零れ落ちる心をすくってくれたのが、
朝日のひかり。
毎日毎日同じ景色の中、唯一毎日同じじゃない、空。
これはすべて、犬のくーちゃんが見せてくれた世界だよ。
くー13才
最後は今日の1枚。
息子、天(てん)を照らした夕日。
まさに、あまてらす。
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by mosottto
| 2019-04-05 20:02
| 写真展
2019年 03月 17日
キューバからチノがやってきた!③
チノに昼食を振る舞った。
十八番の餃子(中華であるが)と、ポテトサラダ、スープ。
義母が持ってきてくれた、近所のたこ焼き屋’おたやん’のたこ焼きである。
チノは思いの外、手料理よりも’おたやん’のたこ焼きに食いついた。
マシンガンのように喋り続けながら、たこ焼きがみるみるうちになくなっていく。
ほぼ、チノと息子がたこ焼きを完食した。
十八番の餃子にはノーリアクションだったが、ポテトサラダには、
「こりゃうまい!(もちろんスペイン語だ)」と言ってくれた。
一番仕込みに時間がかかったわりにノーリアクションだった餃子を、わたしは静かに食べた。
チノが食事をしてる姿は、まるで飲み屋のおやじのような佇まいで、本当にキューバ人なのかと疑うほど、日本の食卓に馴染んでいる。
息子も親戚のおじさんに接するかのように、安定したくつろぎを見せている。
昼食後、夫同様、チノも太鼓叩きなので、少しだけ息子はお稽古をつけてもらうことになった。
キューバの太鼓、バタドラムである。
普段あまりお稽古に積極的ではない息子だが、チノの表情をよく見ながら、一生懸命太鼓を真似して叩いていた。
ここではスペイン語も日本語も関係ない、音楽のコミュニケーションである。その姿はなかなか原始的な風景であった。
翌日、チノを連れて京都市内の観光に行くことにした。
その日は選挙の投票日だったので、先に最寄りの小学校に向かい、車にチノを待たせ、わたしたちだけで投票所に行った。
そのあと、七条の三十三間堂へ向かう。
駐車場へ車を止めようとするも、その日は大的会開催、境内無料公開される日とあって満車になっており、すでに待ちの車がずらりと並んでいた。
近隣のコインパーキングもことごとく満車、少し離れた場所のコインパーキングが空いていたので、そこへ止めて、東大路通を北上しながら向かうことにした。
七条通まで、古くある個人商店が並び、その一つの古めかしいおもちゃ屋に息子は興味を示し、しばらく物色していたのだが、そこでチノがショーケースに入っているものをしげしげと見始めた。
見ると、プラスチック製のトランプである。
「キューバに売ってないから、ぜひ買いたい」と言いだしたので、店主のじいさんにケースの鍵を開けてもらうことにした。
「え?日本に来てトランプ買うの?」と一瞬思ったが、よくよくプラスチック製のトランプを久しぶりに見て、昔実家にあったのはプラスチック製だったことを思い出し、ノスタルジックな気分になる。
お寺で買っていた陶器の鈴といい、チノのお買い物は何か人をほっこりさせる。
三十三間堂へ到着すると、大的会に参加する袴を着た若者達で溢れかえっていた。
初めて見る国宝、千体の千手観音にチノは目を見開きながら、夫の説明を聞き、ゆっくりと参拝して歩く。
一方、わたしとあまり興味のない息子と足早に参拝し、、
「このまんまんちゃん雷の神様やろ(雷神のこと)、頭下げといた方がいいんちゃうか」と息子に促されるまま、小銭を賽銭箱に入れ、頭を下げた。
この日は年に一度の、楊枝のお加持という法要の日であった。
インド伝来の平安時代から続く法要で、観音さまに祈願した法水を参拝者に注いで(頭に少量の水をかけるというもの)諸病を除く儀式らしい。
僧侶が参拝客に楊(やなぎ)の枝から、法水を参拝者に数滴かけている様子を見たチノは、途端に顔を明るくさせた。
順番に祈願を受け、チノも法水を頭にかけてもらうと、満足そうな笑みになっていた。
間違いなく、信心深いチノにとって、この京都の旅一番のトピックになっただろう。
三十三間堂を後にし、腹が減ってきたので、どこかで昼食をとることにした。
市内マラソンが開催されていたので道路事情も規制がかかり、どこへ行くにも満席で中々昼食にありつける気配がなかった。
腹が減ったのと、市内の混み具合で大分に苛立ち始めた夫は、
「ここしかない!」と入ったのは、まさかのびっくりドンキーであった。
息子は大喜びで、チノもどんな店なのかもよくわかっていない様子であった。
とりあえず息子はお子様ランチ、わたしたち夫婦はハンバーグとステーキのセット、そしてチノが何を頼むのかを見守った。
メニューを吟味してチノが選んだのは、
カレーライスと、ピザ。
とてもわかりやすい組み合わせだ。おいしくて、腹も満たされる。
カレーを挟みつつ、
ピザ一枚をぺろりと一人で完食したチノは、「日本は何を食べてもおいしい」と語った。
一方、人混みが苦手な夫は、三十三間堂とマラソンの交通規制で疲弊しきっていて、途中でチノが言っていることをわたしに訳すことを放棄しだした。
それでもチノはお構いなくスペイン語で話し続けるので、「ふんふん」と聞き、わかったようなわからないような(間違いなく理解できていない)空気がその場を包んでいた。
食後、その晩からチノが滞在することになっているゲストハウスへ荷物を置きに向かう。
京都でよく見かける町屋を改装したゲストハウスではなく、新築のマンションのような小綺麗な部屋に少し驚いた。
そこで何故か先ほどチノが購入したプラスチック製トランプで、ババ抜きをすることになった。
6歳の息子はババを引くと、必ず「あ!」というモロにわかるリアクションをとるのだが、驚くことにチノも同じリアクションをとるので、ババ抜きの醍醐味がすべてそぎ落とされたゲームに展開していった。
結局息子とチノが残り、最後にチノがババを引いてお開きとなった。
息子もチノも何やら楽しそうに笑っていて、策略的にババを引かせたわたしの心が薄汚れているかのように感じるのはなぜだろう。
しばらくして、ベッドでスマホを見ながらくつろぐチノの横に息子も寝転がりながら、同じようにくつろぎ出した。
この二人は最初から安定した、親戚のおじさんと子供感を常に漂わせていて、不思議である。
今まで夫の外国人の友人たちに会ってきた息子だが、チノだけは唯一無二の、といったかんじだ。
チノが相手を緊張させない人であるのも大きいと思うが、息子もそんな自然体なチノに心を開いてる様子だった。
夜はチノの友人と夫と京都駅で落ち合うため、遅くなるのでわたしと息子だけ先に家に帰ることになった。
京都駅周辺の道は渋滞しかけていたので、抜け道を探しならゆっくりと運転して帰る。
しばらくして息子は後部座席で眠りについた。
帰宅してから息子がチノへメッセージを送りたいというので、
「ちの、また会おうね〜」という動画をメッセンジャーで送った。
その数分後、夜の京都タワーを背景に、チノとその友人、にやりと笑っている夫の写真が送られてきた。
異国の友人でありながらも、息子にとっては心の置ける出会いとなった。
その数ヶ月後、チノが日本で入籍し、パパになるという知らせが入った。
おめでとう、チノ。
息子とチノとの再会がまた楽しみである。
ババ引いた
顔がわかりやすすぎる
とてもいい人
(自由律俳句)
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by mosottto
| 2019-03-17 23:04
| エッセイ