最近暑くなってきたためか、夫の服装に変化が見られる。



部屋着はタイパンツにランニング。



外着はランニングに短パンでビーサンにもちろんグラサン。





京都でよく見られる欧米系の外国人観光客のスタイルと、ほぼ変わらない状態である。





先日岡崎にある親戚のマンションに行ったところ、「(夫が出入りしてると)民泊やってると思われる」と言われていた。








格好だけ外国人風というのは別にどうでもいいことなのだが、会話においても外国人風だと、正直面倒臭いことが多々有る。





例えばこの間、萌え系アニメキャラについて夫と議論になった。



夫はこの萌え系自体が嫌いなので、猛烈にバッシングするのである。


わたしはそんなの好みだし、バッシングする意味がわからないと発言すると、そこからディベートの嵐である。




あまりにかぶせてくるので、正直面倒臭くなり、どうでもいい空気を流しにかかると、



「議論は重要や。好きだという権利があるなら、嫌いだという権利もある。なんちゃらかんちゃら(割愛)」



どうにかフェードアウトさせて、蕎麦屋で機嫌よく蕎麦を食べてると、思い出したかのように「萌え系のことは〜」と言いだしたので、



「もうええやろ!」と、軽くキレて、話を終わらせた。




ただ蕎麦を食べたいだけなんだ!






こういう具合で萌え系というライトなネタはまだ序の口なのだが、日本や世界の政治経済などの重いネタにうっかり口を挟んでしまうと、すぐさま熱い議論が始まってしまう。




海外にいると、議論は当たり前で、コミュニケーションの一部だと夫は言うのだが、正直なところ、唾を飛ばしながらディベートすというのが日常の環境には、できるだけ身を置きたくないと思ってしまう。






なあなあな日本人気質でわたしはいい。













ディベートより



こたつで横になって



うたた寝したい


(自由律俳句)
















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# by mosottto | 2018-06-10 20:14 | エッセイ | Comments(0)




義母の愛車はベンツである。


昔から、というわけではない。







ずっとダイハツの軽に長年乗っていた。


しかし、ちょいちょい、


「外車に乗るなら、アウディがええわ〜憧れや〜」などと、外車への憧れを心に潜めていた義母であることを、わたしは知っていた。





去年、ある日突然、



「ちょっと、話があるねん」



と義母が言うので、




還暦を過ぎた姑が、突然話がある、これはただごとではない。






もうこれは再婚の話しかないのではないか!(義母は離婚している)

見た目が若く、大変フットワークの軽い義母なので、十分あり得る話である。


(相手は?年上?いやまて、30くらい年下を義母は選ぶかもしれない!ということは、わたしとそんなに歳が変わらないかもしれない!どんな男や?どこで知り合ったんや?どんな経緯で??)

そんな妄想が数十秒の間に、わたしの脳内にかけめぐり、唾をごっくんのみこんで、


「え?何の話ですか?まさか、、」と、つぶやいた途端、義母は満面の笑みでこう言った。








「車、変えましてん」







「なににしたと思う??」




よくわからないが、義母の周りにお花畑が咲いてるように見えた。






「え?車?さあ、、アウディですか?乗りたい言うてましたもんね」



義母はにっこり笑って、



「ベンツ」と答えた。




そういわけで長年秘めていた願望を実現した義母は、ぴかぴかのシルバーのベンツを楽しそうに乗り回している。




「いつでも乗ってくれたらいいし」と意気揚々という義母に、「はあ」と軽く答えたまま、月日は流れていた。





つい先日、義母が我が家に来た際に、ふと思いついて「運転してみていいですか?」と告げると、義母は「ああ、いいよ〜」と言いながら、慌てふためいた。


ギアの操作方法、各ボタンの位置などを教えてくれるものの、




「気いつけてな。あんたこれ、ベンツやで」というバイブレーションが如実に出ている。


そんなバイブスをさらっと受け止め、家の周りを一周してみた。





皮のシート、ゆったりとした乗り心地、車内の静かな音、さすがベンツやなと思いながら(我が家の愛車は、大分に年式の古い、(傷へこみ多数)ウィングロードである)、ついでに外出する夫を駅まで送った。





ふと助手席に座っている夫を見ると、黒のスーツ(友人の告別式のため)、モヒカン、グラサン姿である。

ガタイがしっかりしてる上に(元ラガーマン)、人相もいいとは言えない。





スターのSPもしくは、チンピラにしか見えない。





しかも、こういう時に限って、ベンツに乗っている。





いかつ過ぎる風貌とベンツ。どう見たって、本物だろう。





なんでこんな時に限って、ベンツ運転したいなんて言ってしまったんだろうか、と若干後悔した。





いつになくスカした表情の夫を駅まで送り、家路についた。






翌朝、葬式にスーツじゃないラフなスタイルで来る人ってありえんなーという、随分まともなことを夫がぼやいていたので、一瞬目を見張った。







スーツにモヒカンにグラサン姿は、十分まともではない。














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# by mosottto | 2018-06-05 11:24 | エッセイ | Comments(2)



近所の至る所で出没する、自転車じいさんがいる。


じいさんといっても身長が180センチ近くあり、がたいがしっかりしているので、一見遠くから見るとじいさんに見えない。


しかし、近くで見ると、スキンヘッドでその顔の年輪を見ると、明らかにじいさんなのだ。





そのじいさんは自転車のサドルをマックスに上げ(足が長いので)、ゆったりといつも自転車をこいでいる。


たまに自転車をひきながら歩いていることもある。



自転車のカゴはなく、いつもTシャツに短パンという軽装で、ナイキのキャップをぶら下げ、筋肉がしっかりとついている細く長い足でゆったりと歩いている。



どう見ても、買い物の帰りにぶらっと自転車に乗ってるおっさんではない。




自転車への熱い情熱を感じる。




そして自由にぷらぷらと散策をするのを生きがいに感じている風にも見える。




6年前にそのじいさんを見てから、わたしは勝手に親近感を沸かせてもらっている。



話しかけたことはまだないが、(いつもじいさんは軽快に自転車をこいでいるか、自転車をひいてるときも、遠くの目的地を見つめるかのような視線なのだ)そのじいさんを見かけるたびに、どこかほっとするのである。





小学生の頃、わたしは自転車で町中をぶらつくのが好きであった。


目的はないが、とにかくいろんな方面へ自転車を走らせ、無駄に坂を上っては下りるときの爽快感を味わっていた。


友人とつるむのでなく(友人はほとんどいなかったのだが)、ひとりで自由に動き回るのが好きであった。



すこし浮浪人体質の小学生だった。



珍しく友人たちと自転車で帰るときも、急に「今月号のなかよしが今日発売日だった!」と思い出し、友人たちに何も告げずに、しゃーっと走り去り、周囲を困惑させるような、大変協調性のない小学生だった(あとで心配した友人が追いかけてきてくれて、「大丈夫?なにかあったの?突然行っちゃうからびっくりした!」と声をかけられた)






そんなわたしだから、妙にこのじいさんには他人とは思えない何かを感じずにはいられない。



じいさんは、いつもひとりだ。


正確には自転車が相棒。



立ち止まって、じいさん仲間と立ち話をすることはない。


なにか、遠いどこかを追いかけて、町中を走っている。



じいさんに焦りはない。


常にゆったりと自転車をこぎ、


完全に自然と調和している。




過去にお世話になったあるおじさんも、ポタリングが趣味で、ゆったり自転車をこいで街を散策しているような人だった。



自転車屋をやっているのに、自分の自転車に鍵をつけず、何回も盗難にあっていた。



何度も自転車を盗まれても、鍵をつけないその姿勢に、感動すら覚えた。




そのじいさんと、世話になったおじさんの空気感がとても似てる。



共通するのは、自由に街を自転車で回ることが好きなのと、ちょっとした浮浪人的なところだろうか。






じいさんはただ自転車をこいでいるだけだが、その存在が、わたしをほっとさせてくれるのである。









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# by mosottto | 2018-05-25 15:24 | エッセイ | Comments(2)



メキシコからの友人オスカルが一週間ほど、我が家に泊まっていた。


大柄で見るからにメキシカンな見た目だが、彼の行動を観察していると、まったくメキシコ人には思えず、むしろ日本人的なのだ。


「洗濯してほしい」と渡された洗濯物は、きちっと丁寧にたたまれていて(すでに洗濯されたものではと思うくらいに、きちっとたたまれている)、「10時に家を出るよ」と言えば、5分前には玄関で丁寧に靴ひもを結んでいる。

皿洗いも率先してやってくれ、毎朝布団はきれいにたたんである。




そう、とても、きちっとした人なのだ。





出かける時間にわたしと子供とオスカルが、棒立ちで玄関で待っている中、夫が中々出て来ない。


やっと出てきたと思えば、グラサンをかけ、平然と姿を現わす。




もう夫が日本人ではないのかもしれないと、思えてきた。









コミュニケーションは夫とオスカルはスペイン語である。


わたしはスペイン語は話せないので、片言のデタラメ英語なのだが、オスカルも英語はどうやら片言で、わたしたちが会話する時は雲をつかむようなスカスカとした会話となる。





なんとなくの会話はできるが、芯のある会話はできない。


だからわたしも彼も最後は頭を抱えてしまい、唯一意思疎通のできる夫に懇願の目を向ける。


面倒くさそうに夫は通訳するというわけだ。




夫の母(つまり姑)はまったく英語は話せない。しかし、オスカルに何か伝えたい、といったときに、たまたまわたしが横にいたので、通訳することがあったのだが、これはカオスだった。


片言同士の会話なので、長嶋茂雄ばりのジェスチャーと擬音が飛び交うのである。


結果的に三人とも笑っている。


そう、笑うしかないのだ。






日本に来て、寿司や蕎麦、焼き鳥などいろんな日本食を食べ、ひじきや味噌汁など、和食などを我が家で食したオスカルだが、食べた瞬間に、



「リコ!!!(おいしい!)」と絶叫にも近い反応を示したのが、日清から出ているラ王の’サンラータン味’だった。



酸っぱくて辛いものが、どうやらメキシコ人は好きらしい。


感情をむき出しにすることがない彼が、「これをメキシコに持って帰りたい!!」と言うくらい反応したのだから、余程のことなのだろうと思い、西友にあるだけのラ王’サンラータン味’を買い占めて、「さあ、これをメキシコに持って帰ってちょうだい!」と渡すと、爆笑して感激していた。



「このためだけのスーツケースを買うよ」と笑っていた。






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# by mosottto | 2018-05-21 12:01 | エッセイ | Comments(2)


モヒカンスタイルが定番になった夫。


日々、我が家の狭い洗面所で、モヒカン調整を自分で行っているようだ。


じゃーという、バリカンの音が静かに聴こえてくる。


ああ、やってるな、と思うくらいで、その日課には関わらないように努めているのだが、先日洗面所から夫の声がした。




「ちょっと!!見てくれないか」



面倒くさいと思いながら洗面所に行くと、真顔で夫が言った。





「後頭部どうなってる?黒豆みたいなのない?この黒豆みたいなのが、気になるんやけど」





黒豆を連呼する夫に若干引きながら、後頭部を確認してみると、



丁度つむじの辺りが、ぽつんと浮いている。


黒豆と言われればそう見えるが、ただのつむじだと思えば、そう思うし、要は、どちらでもいいといった感じである。






「黒豆には見えへんよ」




と夫に伝えると、一気に安堵の表情を見せた。




「よかった」


と言いながら、引き続きモヒカン調整に黙々と入った。





メキシコの床屋で、後頭部をじゃがいも頭にされてから、後頭部に対して敏感になりすぎてるように思うが、はっきり言っておっさんの後頭部をじっと見る者はまれだろう。









黒豆探し

夫の後頭部を

こんなに真剣に見ることはない
(自由律俳句)








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# by mosottto | 2018-04-23 14:09 | エッセイ | Comments(2)


結婚記念日という思い出をみなさんお持ちであろうか。


我が家は一応、二人で食事に行くという行事はしているが、なんだかぱっとしない思い出ばかりである。


二年前は近所の町屋を改装したフレンチレストラン(夜は一日4組しかとらないという、強気っぷり)で食事をして、調子に乗ってシャンパンにワインにビールに飲んでいたら、わたしは後半つぶれてしまい、きれいな庭を見ながら、無念にも縁側で座布団敷いて、横になるはめになった。

おいしそうにメインディッシュを食す夫を見て腹がたった。
しかも、あまりの気持ちの悪さに、最後のデザートも食べれなかったのである。

横になりながら、夫をにらみつけていたのを、今でも覚えている。



今年の記念日は、京都駅近くの夫おすすめの居酒屋に行ったが、料理も店員(新人の大学生ばかりで、威勢だけがよくうるさい)もぱっとせず、早々に切り上げ、ラーメンでも食べにいくかと、近くの新福菜館に行ったが、まさかの店終いで、隣の第一旭は大行列、泣く泣く退散した。(ラーメン屋で並ぶ気がしない)


結局地元に戻り、駅前の一度も入ったことのないとんこつラーメンの店に入った。


ラーメン屋なのに、活気がなく、店員も若干まったりしている。しかも、結構待たせるではないか。



嫌な予感がしたのだが、出て来たラーメンは予想以上においしく、二人無言で完食した。


店を出てから夫がつぶやいた。



「期待してないわりには、うまかったな。
、、というか、好みの味だ」


と、満足そうに、にやついていた。



「よかったやん」
とだけ、返した。





来年の記念日も、おおむね予想できる。





求めてた

とんこつラーメン

こんなに近場にあるとは

(自由律俳句)






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# by mosottto | 2018-04-10 16:33 | エッセイ | Comments(2)


先日親戚のお葬式があり、夫と義母とわたしとで車で向かった。


その道中、夫が出演したあるラジオ番組の放送日であったことに気付き、家族耳をそば立て、夫のラジオ収録を聞き始めた。


葬儀場についてしまったが、番組は続いていたので、三人で車中で静かに聞く。



お葬式なので、当たり前だが三人喪服である。


喪服姿のいい大人三人が、カーステに耳を近づけながら、じっと聞く姿は、実に滑稽である。(夫に至っては、喪服でグラサン、モヒカンである)






受付の時間ぎりぎりまで聴き終え、葬儀場に向かったのだが、義母は、


「いやーあんた喋りもいけるな。芸人にでもなれるわ」と、意気揚々であった。



確かに夫は頭の回転が早く、納得のいかないことにはとことん議論するし、世界各国どこに行っても現地と同化するぐらいの順応性があり、どんな場所でも物怖じしないので、その点は自信満々の人間であると思っていた。






しかし、である。




昨日、スマホの簡単な心理テストが面白かったので、夫に質問した時のことだ。



重要なのは、テスト結果ではない。



わたしが質問する問いの、夫の回答に驚愕した。





「人に会いたくない時がよくある」に対して、「イエス」


「人から言われたことが気になる」に対して、「イエス」


「心が苦しくなる時がある」に対して、「イエス」


「誰かに振り回されている時がある」に対して、「イエス」




全部、「ノー」と返事するだろうと思った問いに、全部イエスだったことに、思わずのけ反った。









表舞台で表現する人間は、以外と、中身センシティブ。








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# by mosottto | 2018-04-09 11:02 | エッセイ | Comments(6)





20歳前後の頃、わたしは知らない人に声をかけられるタイプの人間だった。


リュックのファスナーが開けっ放しで、「お姉ちゃん、カバンの中身丸見えや!」と声かけられたことは数知れず。

赤信号なのに渡りかけて、「お姉ちゃん!赤や!!」と引き止められたこともあり。


ぼうっとした、だらしのない人間であることは、お分りであろう。









ある時、電車に乗っていたら、隣に座っている男性(20代半ばくらい)がこちらのほうをやたら見ていることに気がついた。


でも気のせいと思い、途中で下車すると、彼も一緒に降りてきて、控えめにこう声をかけてきた。





「あの、すみません。写真、撮らせてもらえませんか?」






手には一眼カメラを持ち、少し緊張している。


勇気を振り絞って声をかけてきたのだろう。











わたしは考える間も無く、




「嫌です」



と、はっきり答えた。




彼は一瞬あわてふためき、


「、、、そうですよね(苦笑)、すみません、、」


と、悲しい背中を見せて去っていった。




わたしは20歳前後、いつも眉間にしわをよせて、いつも何かに怒っているような人間だったので、彼は声をかけた人間が悪かったとしか言えないが、それでもその不愛想な返事には、今のわたしならその過去に戻って「どの面下げてだよ!」と自分をはっ倒したい気分ではある。




しばらくして、自分も写真を街中で撮るようになった時、いつも撮りたい被写体はおっちゃんやおばちゃんであった。

世間話をしながら、ぱっと撮ってしまうので、緊張感はまるでない。



昔のわたしのような、ツンツンした女子を撮りたいとも思わないし、声をかけるにも相当勇気がいる。


そう思うと、声をかけてきた彼は、相当な緊張感だったんじゃないだろうか。一か八かである。


そして20くらいの小娘に、睨みつけられながら、「嫌です」なんて言われてしまう始末。


立ち飲み屋でビールをあおるしかないだろう。










そして時を経て、子を産んでからは、「そのターバンすてきね、よく似合ってるわ〜」とおばちゃんに声をかけられるか、道を聞かれるかの、どちらかである。












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# by mosottto | 2018-04-05 15:18 | エッセイ | Comments(6)


スマホにして三ヶ月が経った。


友人から、やたらラインへの参加の催促が続き、渋々ラインをダウンロードすることにした。



今まで友人とのメッセージは、メールもしくはメッセンジャーを利用していたのだが、ラインを追加すると一斉に友人たちが、ラインで連絡してほしいと言い出した。






ある日、ラインの音が鳴った。


友人三人でのグループトークで、待ち合わせ場所をどこにするか?という内容のものである。


友人ふたりが会話し出したので、わたしもそれに入ろうと、人差し指でゆっくり文字を打ち始めたら、どんどん友人たちだけで会話が進行して、入る間もなく、待ち合わせ場所が決定してしまっていた。


その間、わずか一分ほどの出来事である。



まったく会話に入りきれなかったわたしは、スタンプをえいっと押すので、精一杯であった。





なぜ、みんなスマホなのに、そんなに文字打ちが早いのだ?


pcならタイピングできるが、スマホとなると、指の運びでものすごい時間がかかってしまう。
らくらくフォンを使っている高齢者と同じレベルか、もしくはそれ以下かもしれない。


大縄跳びで入りきれず半泣きの小学生と、同じ感覚に陥った。


やけになり、初めてスタンプを買ってしまう。









春間近
ラインの会話に入りきれず
空見上げる
(自由律俳句)






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# by mosottto | 2018-03-23 16:39 | エッセイ | Comments(8)

刈り上げ夫婦。


ずっと髪を切りたかったので、美容師院に行ってきた。


担当のスタイリストは男性で、少しクセのある、そしてどこか猫の気配を感じる人だ(夫もそうだが、わたしはついつい猫っぽい人を引き寄せてしまう傾向がある)


いろいろ相談しつつ、彼はこう言った。



「少し刈り上げてもいい?」



わたしの毛量が多い為、調節したいということらしいのだが、刈り上げといえば、夫と一緒である。


夫婦揃って刈り上げってどうなのだろうか、と二、三秒迷ったが、


「いいですよ」と返事していた。



出来上がったスタイルは、ショートカットのサイドがソフトに(女性ということを配慮してくれたらしい)刈り上げられた、今までわたしがしたことのかったスタイルに仕上がった。


スタイリストは大変満足そうである。

「もっと短くして、金髪なんてのもあり!」と、かなりエッジの効いた方向に、わたしを誘いだした。


「気が向いたら、そうしてみます」と、返事しておいた。




身も心も軽くなり、店を出た。


挙動不審な若い男女が、眉間にしわを寄せてスマホとにらめっこしている。

ポケモンのモンスターが店の前付近で出没するらしい。

春間近。





バリカンを
夫婦で共有する日が
来ることになるとは。
(自由律俳句)









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# by mosottto | 2018-03-17 16:35 | エッセイ | Comments(2)

見てられない。


先日スタバに行った際、目の前で30代前後のサラリーマン(アパレル系だと判断)が、派手に飲み物を床にぶちかましていた。


アフリカ大陸のように広がる飲み物(白っぽかったので、カフェオレと判断)


恥ずかしさからか、サラリーマンはひたすらおろおろして、紙ナプキンでふこうとしている。


見ると、隣の20代のサラリーマンにまで、被害がおよんでいる。

そして彼は(社会人三年目くらいと判断)、怪訝な顔して、棒立ちである。




紙ナプキン、何枚いるねん。




わたしはスタバの店員に、


「お姉ちゃん、あそこで飲み物こぼしてはる、雑巾もっていってあげて」と、おばはん丸出しの対応をすると、すかさず店員は飛んで行った。


アパレルサラリーマンは、顔真っ赤っかで、被害を被った方は、やはり怪訝な顔をして脳立ちだ。



その数分後には、二人とも涼しい顔で何事もなかったかのように、スマホやパソコンに向かっていた。





昨日、5歳の息子が大量に床にスープをぶちまけ、やはり「あちゃー」という顔をして、棒立ちで、スープのしみを見つめていた。




お前もか。




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# by mosottto | 2018-03-15 16:22 | エッセイ | Comments(0)

エネルギーの使い道。


少し前から「この時間を削りたい」と思う時間があった。


朝の服選びである。





毎朝眠たい目をこすりながら、意識も朦朧とした中で、服を選ぶという行為が邪魔臭かったのである。


次第に朝のその時間が億劫になりつつあり、わたしはこの時間をどうにかしたかった。







それで思いついたのが、前日の晩に服を選んで枕元に置いておく方法。



目覚ましが鳴り、メガネと服を持って、下へ降りる。


服を選ぶ時間が省かれるので、朝のストレスが減った。


これはいい方法である!


小学生が親に言われてよくやる方法なのだが、なぜ、今まで気がつかなかったのであろう。


朝のちんたら服を選んでる時間が5分だとすれば、×365日、×三十数年間、、


とんでもないエネルギーを費やしていたのかと思うと、頭がくらくらする。



いっそ、のび太やジャイアンのように、同じ服を着て、さらに選ぶ時間さえもショートカットしたい気分になってくる。





一つのことが快適になると、他のことも気になってきた。



ドライヤーで髪を乾かす時間である。



毛量が多いため、異様に時間がかかるのだ。


ふと風呂上りの夫を観察すると、髪は数回タオルドライして終了ではないか。(モヒカン刈り上げスタイルだからだ)




うらやましい。とてもうらやましい、、!



「わたしも刈りあげたいなー」と、夫にもらすと、


「それだけはやめてくれ」と焦って反対された。




そうやっていろんなエネルギーを違う方向に使えているのかというと、このブログを書いているくらいのことで、人生に差し障りのないような気もしてきた。







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# by mosottto | 2018-03-09 09:52 | エッセイ | Comments(0)


アナザーストーリーという検証番組をご存知だろうか?

毎回テーマごとに、様々な視点からの証言をもとに、事件や人物を紐解いていく番組だ。



その、アナザーストーリー的な視点で、わたしが経験した交通事故について書いてみたい。



①交通事故の被害者の視点

30年以上前、つまり7〜8歳頃、わたしは道路を横断する途中、車に跳ねられた。

軽く数メートルは宙を舞い、(よくある話だが、ほんとうにその数秒スローモーションになって見えた)そのまま道路に倒れこんだ。

軽自動車からひとりのおばはんがすごい形相で出てきて、まだ幼いわたしにこう言い放ったのだ。



「わっ、わたしは悪くないからね!!飛び出してきたあんたが悪いんだからっ!」

明らかに動揺している。


焦りまくるおばはんをぼんやり見つめながら、ゆっくりと起き上がると、なんと無傷であった。


近くにあったパン屋のおばちゃんが、お店から出てきて、こっちを見つめている。

さらに焦りまくるおばはん。

「わたしは悪くないから!わたしは悪くない!!」

パン屋のおばちゃんに対してのアピールなのだろうか。


確かにおばはんの言うことは嘘でもなく、わたしは車がきていたこともちらっと確認しつつ、「渡れる」と思って横断したのだが、車のスピードの方が早かったのである。


しかし、人身事故の場合、車の方が加害者になるので、おばはんは動揺しまくっていたのである。

狂気ともいえるほどのおばはんのヒステリーに恐怖を感じ、わたしはそのまま家に帰ってしまった。

随分後になってからその一件のことを親に話すと、

「ばか!なんでその時言わないんだ!」と、えらく怒られた。後遺症があとから出てきた場合のこともあるのかもしれないが、とにかくあの狂気なおばはんのことは一刻も早く忘れたかったのだ。





②交通事故 目撃者の視点

つい最近息子を送りに行く朝、道路の目の前で、軽自動車とバイクの正面衝突を目撃してしまった。
曲がり角での衝突だった。

倒れたバイクの女性は外傷はなさそうだが、うずくまっている。

「大丈夫ですか?」と、その女性に駆け寄ると、接触した車から子連れの女性(ちょいおばはん)が出てきて、



「わたしは悪くないねん!この人が当たってきはってん!」と、若干テンパりながら主張し始めた。
(どこかで聞いたセリフだ)



バイクの倒れた女性を気遣うでもなく、「あー面倒臭いことになってしもた」感をガンガンに出している。

近所の人も出てきて、救急車を呼んだ。

そのあと、警察なども来て、一応目撃者のわたしも事情聴取を受けた。

去り際、バイクの倒れた女性は声を振り絞るようにして、

「、、ありがとうございました」と言って動きにくい手を振ってくれたのだが、手なんか降ってる場合じゃないよ、あんたの無事を願うよ、と後にした。






③交通事故の加害者

5年ほど前、夫を駅まで送った帰り、接触事故を起こしてしまった。

左右の確認ミスと、ペーパードライバーから運転するようになって日がまだ浅いこともあって、気が動転してしまい、コツンとあててしまった。

中からおじさんが出てきて、やれやれ、という顔をしている。わたしもおじさんも怪我はない。


とりあえず警察を呼び、現場検証や事情聴取などをして、車の保険のことなどについて話し合い、最後おじさんに謝ると、「まあ、気をつけてね」とだけわたしに言い残し、後にした。


当てたのがややこしい人でなくてよかった!とほっとした。




番外編 交通事故 加害者の家族


20年以上前、父親が人身事故を起こしてしまった。

バックする際、後方確認ミスで、歩いていた人(中年サラリーマン)の足を巻き込んでしまったのだ。

幸い捻挫程度で済んだものの、怪我の治療などは保険から下りるので、あとは当人同士のやりとりはなくなるのだが、その中年サラリーマンは納得いかなかったようで、こちらが何度も謝ってるのにもかかわらず、執拗に脅迫電話をかけるようになった。

その時は静かなサラリーマンだったのに、電話口ではその筋の人ばりに脅してくるのである。

まさにややこしいタイプの人だ。


気弱な父親はすっかりその電話に参ってしまい、「わたしとお母さんがついてるから大丈夫や!」と父をなぐさめた。



その年末に大きな松葉ガニ二匹を送ると、そのややこしい電話はぴたっとなくなったのである。



かにが好きだったんだ。。







あらゆる視点で交通事故を経験したが、やはり、加害者被害者とも、どんな人に当たってしまうかは、もはや運である。






  















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# by mosottto | 2018-03-07 15:07 | エッセイ | Comments(2)

(またデニーロネタで少々しつこいかもしれないが、もう少しお付き合い願いたい。)



ツタヤで借りてきた’タクシードライバー’を見終わった夫に、

「どうだった?」と聞くと、


「いや、あれは、、あの終わり方はどうも納得いかない。’バードマン’(メキシコ人監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの映画)と似すぎている!」と、興奮気味の夫。


夫の推測では、バードマンもタクシードライバーも、結末が死後、主人公の空想の世界を描いたものである、ということらしい。


「絶対にバードマンの監督は、タクシードライバーを意識してる!そうだとしか思えない!」

その日から、夫は帰宅するたびに、

「タクシードライバー観た?」と聞いてくるようになった。




わたしの見解をどうやら熱望しているようだ。


正直タクシードライバーやデニーロ、マーティンスコセッシに思い入れも何もないわたしにとって、どうでもいいことだったのだが、あまりに執拗に聞いてくるので、ツタヤ返却日の前日、子供を寝かしつけて、眠たい目をこすりながら、一人タクシードライバーの鑑賞をした。



鑑賞後、ちょっとめんどくさい仕事が終わった、、と思っていたら、飲み会終わりの夫が帰宅した。


そそくさと二階に上がろうとしたら、夫は例の結末のシーンについて、議論してきた。酒が入ってるので、余計に白熱して、正直とても面倒臭い気分になった。


「このシーンを観てくれ」と、コマ送りでシーンについて説明し出す夫。

「ちょっと待って。一回通して観させてよ。じゃないと、流れがわからない!」と言うも、執拗にコマ送りで解説し出す夫。

だんだんイラつくわたし。


「この設定で、このセリフ、そして最後のこの映像!おかしいやろ!」


興奮する夫に、


「ちょっと待って。このシーンというよりも、実は全編通して、主人公の妄想であったという考えは?」と切り出すと、


夫は、はっとした顔をして、

「、、それは有り得るな。この主人公はベトナム戦争の帰還兵で精神が病んでる設定や。スコセッシはそういう彼らの悲痛な叫びと妄想を映像にしたかったのかもしれん」


しかしまた後で、「やっぱりこの最後のこのシーンが納得いかん。観て、これ。人が透けてるやん!」と、心霊現象的なシーンにえらい引っかかっていた。



眠気と夫の酒臭さと、白熱する議論に頭がくらくらとなり、


「もう創作の意図は監督のスコセッシにしかわからんやろ、スコセッシに聞いてくれ!」と、わたしは話を終わらせた。







ちなみに飲み会帰りの夫の格好は、やはり、軽いモヒカン、サングラス、モッズコートであった。












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# by mosottto | 2018-03-05 14:19 | エッセイ | Comments(2)


年末にBSプレミアで放送されていた黒澤映画3本(赤ひげ、羅生門、七人の侍)、あと別の映画数本などが、まだ観ずにたまっている。

過去に「どですかでん」や「我が青春に悔いなし」「生きる」などの黒澤映画を観たが、どれもこれもどしーんとした黒澤映画熱がすごいので、異常に集中しないと入っていけないし、世の中が起きていない時間帯に観ないと(もしくは映画館)、正直観れる気がしない。

そんなわけで長らく三ヶ月放置状態であったわけだが、たまたまウッディアレンの映画が放送されていたので何気に録画した。


用事のついでに冒頭だけチェックしようと観出したのだが、結果、最後まで観てしまった。


’ブルージャスミン’である。


ケイト・ブランシェット主演で、大富豪の妻がある出来事をきっかけにすべてを失い、落ちぶれて、壊れていく様を描いた映画だ。

内容だけみるとかなり辛気臭いかんじなので、最後まで観れないだろうと思っていた。


しかし、だ。

ウッディアレンの作り出す心地よいテンポ感と、人間臭いキャラクター設定、主人公演じるケイト・ブランシェットの演技力に怒涛のように引き込まれ、(ポテトチップスを食べ始めて止められなくなって、最後まで食べきった衝動に近い)もう最後は降参状態だった。


こんなに人を引き込むことができるケイト・ブランシェットの演技力はちょっと異常だ。
彼女の演技を観るだけでも価値がある。



そういうわけで、確定申告という用事も結局後回しになってしまった。

こんなブログ書いてる暇はないのだが。







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# by mosottto | 2018-03-02 09:56 | 映画のこと | Comments(4)

「買い出し行ってくるけど、ついでになんか買ってくるものある?」

と、何気なく夫に聞くと、一瞬真顔になってから、目をきらっと光らせ、

「TSUTAYAでタクシードライバーを借りてきてくれないか」と、言い放った。


またか!
まだデニーロ熱は冷めてなかったんか、と一瞬ひるんだが、わたしは黙って頷いて家を出た。




「借りてきたで」と、夫に渡すと、神妙な面持ちで、デッキに入れ、モヒカン頭になるデニーロのシーンを早送りする夫。

去年、一度だけタクシードライーバーをチェック済みだったが、デニーロのモヒカン姿はおぼろげだった。

一緒に息をのんで見ていると、予想をはるかに超えた、かなりいかついトリッキーなモヒカン姿のデニーロが映し出され、夫婦で絶句した。

「、、けっこう、キテるね、このモヒカンは」と、つぶやくと、

「ここまではさすがにやれへんな、、」と、夫でさえもひるんでいた。


しかし、静かに確認し終わると、またバリカンでモヒカンの調整をし始めた夫。


30分は洗面所から出てこなかったのである。


その日の夕方から、夫は中学の同窓会があり、かなり気合いが入っている様子だった。
なにせ25年ぶりの再会である。


例のモッズコートを羽織り、グラサンをかけて、ちょっと軽めのデニーロが仕上がった。


よくわからないが、がんばれ、と心の中で念じて、夫を送り出した。





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# by mosottto | 2018-03-01 09:26 | エッセイ | Comments(4)

やってきた文明開化。

最近いろんなブログを訪問したり、更新の頻度が多くなったり、mosotto急に活動的になってんなーと思われてる方もいるかもしれない。



本当にそうである。



なにせこのMACがやってくるまでは、かなり小さな画面の時々故障するパソコンを使っていたので、ブログも見ずらいし、更新するのも、訪問するのも億劫になるというわけで、必要最低限度の活動であった。

本格的に壊れてからは、携帯もガラケーだったので、ネットする手段はなくなり、ほとんど映画を観るか、本ばかり読んでいた去年の暮れ。(実は人生で一番映画を観た年だった)

それが2018年になり、スマホになり、MACがやってきて、急に文明開化されてしまった。

画面も見やすい!
さくさく更新できるし!
必要以上にMACに入り浸る日々になったというわけである。


義母(つまり夫の母)は去年初めてスマホに変え、パソコンも触ったことがないような人だったので、「人生変わったわ!」とネットライフを謳歌している。

20年弱前、初めてお金を貯めて、MACを買った。
当時光回線などなく(あったのかもしれないが)、ADSLでもなく、超遅いネット環境だった。
よくそんな環境でネットしてるねなどと友人に言われながらも、その当時は嬉しかったのである。

それからどんどん環境が整い、常にパソコンはわたしの友達、的な存在であったのに、去年まで持っていたパソコンはポンコツ状態になり、ぷすぷすと音をたてて、ネットから遠のく日々になっていた。

そしてやってきたMACとスマホがある生活は、「まるで今までパソコンすら触ったことなかった人」(つまり義母のような)が急に快適なネットライフを得て、「人生変わったわ!」状態と、まるで同じだった。

今までのわたしが引くくらいに、ネットライフを謳歌している。


そういう訳で、しばらく浮ついた感があるかもしれないが、落ち着くまで温かく見守っていただきたい。





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# by mosottto | 2018-02-28 14:32 | エッセイ | Comments(2)

メキシコの床屋で、後頭部をじゃがいも頭にされて、納得がいかなかった夫。

仕様がなく、嫁のわたしがバリカンで刈ることになった。

5ミリで少しずつ刈ると、少しましになったようで、じゃがいも感からは脱却した模様だったが、最終的には自分自身でバリカンを握ってじゃーじゃー刈りはじめていた。


気がつくと、グラデーション気味のモヒカン頭になっており、

「(映画)タクシードライバーの時のデニーロみたいやろ?」と、満面の笑みを浮かべ、仁王立ちで立っていた夫。

「そうやな」と一言だけ返しておいた。





別の日に、夫が急に「服がほしいな」と言い出し、行きつけのリサイクルショップに行くことになった。

息子のパジャマ50円、わたしのブーツ100円をゲットし意気揚々になって、夫を探しにいくと、姿が一向に見当たらない。

携帯にかけると、小声で夫が出た。

「試着室や。まだ時間かかるから、その辺にいて」

40過ぎたおっさんが、試着で30分も時間をかけるものだろうか?と、ぼんやり考えていると、ふうと息をつき、汗ばんだおっさんが出てきた。

すると女子高生のようにもじもじして、
「あのさ、モッズコートどう思う?あっちに売ってたんやけど」と言い出した。

どうもこうも、自分が気にいったんやったら、ええんと違うんかと、内心思うも、コートを探しにいく夫の足取りは完全に浮かれていることに気づく。

そのモッズコートを嬉しそうに見せ、わたしの目の前で羽織って見せた。


「タクシードライバーのデニーロみたいやろ?」と、少し照れながら言う夫。

またか!

「自分がいいと思ったら、いいんちがうか」と告げると、ぱあっと顔を輝かせ、カゴにモッズコートを入れていた。


数日後、夫が主催するレッスンに同行した際、お世話になっているお店の方や生徒さんたちと話している時だった。

モッズコートを羽織り、グラサンをかけ(室内である)、モヒカン頭の夫は、いつもに比べると口数が少ないことに気づく。
なんだか、アンニュイな空気も醸し出してるなあと思いながらも、放っておいた。


帰宅後、夫は寂しげな表情でつぶやいた。


「誰もタクシードライバーのデニーロやと気づいてくれへんかったな」



うそやろ?
デニーロ演じてたんか?


しょげている夫にわたしはつぶやいた。


「余程の映画通じゃないと、それは気付かれへんやろ」



夫のなりきりデニーロは、もう少し続きそうな気配である。




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# by mosottto | 2018-02-27 09:14 | エッセイ | Comments(0)

魔除けの恐竜。


最近、恐竜の絵を描くことにはまっている息子。

「おとうさんも描いて!」と、親子で恐竜絵対決をしていた。

夕食の後片付けを終えて居間に行き、対決の経過を覗いてみた。


息子の描く恐竜は、色や形がとてもドリーミンで、見ていてとてもかわいらしい。
ほのぼのしながら眺めて、夫の恐竜に目をやると、一瞬のけ反った。

その恐竜は執拗なほどまでの生命力、アクの強さ、エグさに突出していた。

そしてなぜかこれを飾って置いたら、悪いことを跳ね返しそうと思わせる魔除け感。

「、、なんか、すごいね。目がやばい。ぐへへへって吹き出しで入れたいよね」と夫に言うと、

「じゃあ、書いてみて」と言うので、ぐへへへっと書き足すと、

「センスないな。この恐竜が台無しだ」と、ばっさり。

そう?鳥山明の線を狙って書いてみたのだが。

まあ、どっちもどっちじゃないか。


そういうわけで、窓辺に魔除け代わりに飾ることにした。
横に置いてある去年、夫がメキシコ土産で買ってきた水晶玉と妙に合っている。

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# by mosottto | 2018-02-26 12:19 | こども、家族のこと | Comments(2)


西原理恵子特集の雑誌と、植本いち子の新刊エッセイ(私生活を赤裸々に綴った内容)を読んだ。



植本いち子は本人自体に不安定感というか、この人どうなっちゃうんだろう?という危うさがあり、それが読み手にとっては惹きつけられる魅力でもあると思う。(なので読み手も不安定だと、どーんと沈んでしまいそうな危機感はある)
初期の日記を読み、夫が同じ職業で、育児中という共通点でえらく共感をしたのだが、前作を読むと、本人より夫である石田さんに共感し、少し石田さんのファンにもなっていた。

そして今作。

ああ、この人はすねているんだ。
愛してほしい、わかってほしい、わたしは孤独。
本からそのような感情が溢れ出して、小さな女の子が泣いているようだった。

かなりバッシングされ兼ねない内容なのだが、本人にとっては切実で、正直でありたいということなのだろう。(周囲の人、自分の家族に今後いろんな影響が出ることも覚悟で)

彼女に共感するところもあるし、共感できないところもあるし、読み手にとっては様々な感情を感じるだろうが、一つ言えるのは、誰も彼女の人生に口出しできない、ということだ。


西原理恵子は表向き、銭金銭金、稼ぐためならなんでもネタにしまっせと、図太く生きてる女性に見えるが、根本では人間を愛するということにかけては、ものすごい執着を感じる。
波乱万丈でありながらも、それでも人間を愛するということを常に選択している人だと思う。



倉本聰のインタビューで、最近の人は、発信ばかりに気を取られているが、創作に必要なのは受信力だと語っていたのを思い出した。

受信力とは、人を愛することだという。

それが創作における一番たいせつなこと。



そうか、愛すること。
哲学がはっきりある人の作品は、何度も見たくなるし、読みたくなるのだな。

読後の感想。








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# by mosottto | 2018-02-24 12:48 | 読書の時間 | Comments(0)



快晴某日、美術館へ無性に行きたくなり、岡崎にある京都国立近代美術館へ朝一向かった。
(このブログには珍しい写真多めの内容です)



ルートはいつも決まっている。
朝の先斗町。
観光客もおらず、さくさくと歩けるのだ


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先斗町歌舞練場の壁が好きで、通るたびにうっとり見つめてしまう。
この壁バックに人物のポートレートを撮ったら面白そうなどと、妄想にふける。
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朝の三条大橋。
こんなに寒い2月の京都なのに、お決まりのように土手にはカップルが座っている。
うそだろう、と思いながら通り過ぎる。
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独身時代に友人と何度か行った飲み屋を通り過ぎる。
酒好きの人はご存知だろうか?酒場ライターの吉田類が酒場放浪記で訪れた場所でもある。
(この店の他に、河原町三条上がって一筋目を東に入ったところにある、’よしみ’もいい店である。)

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おしゃれな場所より、こういう少し影がある細い路地に吸い寄せられてしまうのは、もうこれは仕方がない。
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国立美術館前は平安神宮の大鳥居があり、わたしはおそらくここが京都で一二を争うくらい、好きな場所である。
頻繁には行かないが、なぜか快晴の日には行きたくなる場所なのだ。
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観光客のふりをして、鳥居の下を撮影する。
crushというシールが貼られていた。アウトだろう、これは。
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会場に到着すると、すでに人が並んでおり、え?ゴッホ、そんな人気なの?と一瞬驚いた。


今回の展示はゴッホの愛する日本のテーマのようで、ゴッホの作品の他、北斎や広重の作品も展示されていて、北斎の作品を生で見たことがなかったわたしは、とても興奮した。

ゴッホの浮世絵風の作品や、日本美術に影響を受けた西洋作品を眺めていると、余計に、北斎などの作品が洗練されて見えて、ゴッホ展というよりも、日本美術の再認識というかんじだった。

もちろんゴッホの作品で好きなものも数展あったのだが。(麦畑が一番気に入り、一巡してから、またこの絵をずっと眺めていた。というか、この絵の前にしかほとんどいなかった)

会場を出ると、チケット売り場には吐き気がするくらいの長蛇の列ができていた。
朝早く行動していて良かった!と、ほっと胸をなでおろした瞬間だった。


そのあと、岡崎方面に行くと立ち寄る知り合いの店があり、いつ行っても閉まっていたので、長らく店主と会えたためしがなかったのだが、この日は「なんか今日は開いてそう」という気がして、ふらっと立ち寄ると、ひっそりと開店していた。
6年ぶりの再会だろうか?

しかも、「ちょうどええとこに来たわ!阿闍梨餅持って帰って!」と、京都名物までおみやげでもらった。
知り合いにおみやげで持っていこうと買っておいたそうだが、キャンセルになり渡せなかったので、今日誰か友達が来たら渡そうと思ってたところに、わたしがふらっと現れたというわけだ。
わたしのセンサーはお店の開店よりもむしろ、阿闍梨餅センサーに引っかかったのかもしれない。

結局一時間半ほど長居し、お互いの近況や、あの人は今景気良さそうや、などと、やはり下世話な話で盛り上がった。


コートのポケットに阿闍梨餅を詰め込み、帰路に着いた。
なんてことないがいい一日であった。





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# by mosottto | 2018-02-23 11:27 | カメラ | Comments(4)

縁が繋げてくれる。


2月某日、多忙な友人二人を誘い、共通の知り合いkさんのお墓参りに行った。

お墓にはkさんが長年吸っていたキャスターをお供えし、線香とタバコの煙がお墓に広がった。
快晴であった。

家族を持ついい年をした女三人が墓場に集まれば、親の墓や自分の墓問題で話題が持ちきりにならない筈がない。
永大供養というキーワードがやたら飛び交った。
そしてやたら声がでかくなる。
お墓まいりに来て、こんな下世話な話して、ま、kさんも笑ってくれてるよねーと笑い飛ばし、お墓を後にした。


今出川近くのカフェで昼ごはんをして、やはり下世話な話で盛り上がる。
いいかんじのおしゃれなカフェが、雰囲気台無しの感もあるが、それはもう仕方がないことである。

一人は会社経営者で、彼女の話を聞いてると、雇われてばかりの人生だったわたしは、雇う側の視点になって物を考えたことがなかったことに気づく。
一から会社を起こして、人を雇い、十数年続けられるって、すごいことだ。
人に恵まれ、人に揉まれ、人間力の塊のような彼女であるからできることなんだろう。

もう一人はフリーで働いてる方だが、締め切りで追われ、とても大変そうだが、仕事を取りに行くことは少なく、ほとんどが縁で繋がって、仕事が舞い込んでくるのだそうだ。
彼女も才能ももちろんだが、人を惹きつけるものを持っているからこそ、たくさんのご縁があり求められているんだろう。

そんな多忙な二人を、ぼんやり暮らしている主婦のわたしが急に呼びつけちゃって、ほんとすみませんというかんじなのだが、kさんという人を通じて知り合った間柄なので、やはり縁というものに感謝せずにはいられない。


おしゃれなカフェでの下世話な話は一層盛り上がり、次は最近引っ越しした友人宅で、引っ越し祝いだ!酒持ってくよ!と、酒の話題でえらく盛り上がった。


帰りの地下鉄の車内で、真向かいに座っている若いサラリーマンが目に付いた。
ノートパソコンとにらめっこし、いかにも仕事してまっせ感を漂わせている彼だが、横に無造作に置かれたコートはだらしなく、足元に置かれたカバンはパンパンで、しかも半分開いていて、そこからビッグサイズのポン菓子が顔を覗かせていた。
一見仕事できなさそうに見えるが(決め付けてしまって申し訳ない)、そういうどこか抜けてるところが、かわいいなあと、ぼんやり眺めた。













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# by mosottto | 2018-02-22 10:34 | エッセイ | Comments(0)




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去年のクリスマスの前日の夜、突然息子がこうつぶやいた。

「よし決めた。サンタさんにカメラがほしいですってお願いしよう」

カ、カメラ?!サンタさんからのプレゼントは、毎年恒例の絵本とミニおもちゃだよ?
焦ったサンタが急遽用意したカメラを、クリスマス当日の朝、飛び上がるくらい喜んだ息子。

年季の入ったカメラケースを見ても、喜んでくれるまだ5歳の息子にほっとする。

それから少し遠出する度に、リュックにそのカメラを忍ばせるようになった息子だったが、先日動物園に行った時の出来事である。


動物園と言えば見所満載、撮りどころ満載スポットである。

キリンや象やシロクマ、息子の姿を必死で撮りまくる母とは裏腹に、息子は一向にカメラを取り出す気配がない。

ただじっと動物を観察している。

もう全部見終わっちゃうよ?撮らなくてもいいの?と、焦る母。

「ねえねえ、写真撮らないの?」と、たまらなく声をかけると、息子は真顔で、



「もう撮りたいものは決めてるし。一番最後に見た動物!」と言い放った。


その息子の盤石たる決意に、わたしは一瞬たじろいだ。

「そ、そうか、、」

必死でスマホで写真を撮りまくる自分が、急にいやしく感じて、写真を撮る気が一気に失せてしまった。
以降、わたしは動物の観察に集中した。
間近で見るカバのでかさに、思わず感嘆の声が漏れた。

そしていよいよ、最後の動物を見る時、わたしは息を飲んで息子をじっと見た。
きたきたきた、今日のシャッターチャンス!

ミーハー心丸出しの母の想いを他所に、息子は静かにポケモンのリュックからオリンパスを取り出し、ゆっくりと身をかがめ、柵の間からレンズを動物に向けた。
ずいぶん低い位置からの撮影である。

レンズの先に目を向けると、丘にのぼったチンパンジーがぼんやりこっちを眺めている。

カシャッ。

息子の右手が動き、渾身のシャッターが切られた。

切られたシャッターは一回きりで、息子はまた静かにポケモンのリュックにオリンパスを仕舞い込んだ。

その横顔に浮かれた様子はまるでなく、職人の様な厳しさを醸し出しているかのようであった。



その後、串カツ屋でビールを飲みながら、横でキャベツをむさぼり食っている息子を、羨望の眼差しで見つめた。





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# by mosottto | 2018-02-21 09:23 | エッセイ | Comments(10)

嫁がつぶれた日。

久しぶりに夫がワインが飲みたいというので、我が家にしては少し高めの(いつもチリ産の量が多くて安いやつである)国産の無添加ワインを購入し、ブルーチーズとつまみを買い込んだ。

即席のピザやパスタをこしらえ(トースターで焼くだけ、茹でて和えるだけという)、惣菜いくつかと、こたつの円卓にどんとワイングラスを二個置く。

ジャンキーな食卓に、息子は「パーティーや!」と大いに盛り上がっていた。

やはり、無添加でいいワインはおいしい。今まで飲んでいたワイン、あれはなんやったんやろう。オレンジジュースだと思って、ファンタをずっと飲んでいたという感覚に近いな、という結論に夫婦で至った。

夫はいつものように、サントリー対東芝のラグビーの試合(録画)を、ワイン片手に見入っていた。



途中、五歳の息子が「おとうさん、とくてんって何?」と、得点について質問すると、

夫は真顔で、
「トライが5点。トライ後のコンバージョンキックが2点。ペナルティゴールが3点。」と、答えていた。

ちがう、ちがう、それはラグビーの得点ルールやろ。息子が聞きたかったのは、「得点」って何?ってことや!得点という概念がわからんねや!と、頭の中で突っ込んでいたが、それも面倒臭くなったので、どこか腑に落ちない表情の息子をぼんやりと見つめていた。

ワインがすすみにすすみ、こたつに入ったまま寝てしまい、気がつくと遠くの方で「もう寝るでー」と夫の声が聞こえ、バタバタ動き回る息子の足が目に入った。
時計の針は0時をさしていた。

中々こたつから出られず、必死の思いで這い出ると、てんこ盛りの皿やグラスが流し台に山積みになっていたが、見て見ぬ振りして、横切って洗面所へ行った。
夫がテキパキと散らかった食器をまとめたり、残り物のおかずをラップしたりしている気配を感じる。

夫に息子の仕上げ磨き用の歯ブラシを渡すと、のそのそと二階へ上がって、そのまま倒れるように寝た。

翌朝、「そろそろ起きやー」と夫の声で目が覚める。
時計の針は10時30をさしていた。
カーテンを開けると、燦々と太陽の光りが差し込み、くらっとした。夜行性の動物の気分になったようだった。

「洗い物、全部やっといたし」と、夫。
あの山のような洗い物が、きれいに片付けられていた。


奇跡が起こったのだ。

わたしはまた、くらっとした。

「ありがとう!」

たまには酔いつぶれるのも、いいものだ。



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# by mosottto | 2018-02-19 10:53 | エッセイ | Comments(0)


先日、先に風呂に入り、息子を呼ぶと、はだかんぼで靴下だけを履いている姿で登場した。
ものすごい笑顔である。

そのときの、一瞬、靴下をはいたままお風呂に入っちゃおうかなあという彼の衝動を、わたしは見逃さなかった。

靴下を脱ぐのか?そのまま入るのか?どうするのだろうか?と、じいっと観察していると、息子は少し考えたあと、靴下を脱ごうとしたのだ。


「え?ほんとに?靴下をはいたまま、お風呂に入りたかったんじゃないの?」と、問いかけると、息子は真顔になって、そして顔を輝かせた。
「ええんや!」という顔である。

息子はおそるおそる靴下のまま風呂場に入り(心なしかつま先歩きで)、いざ、浴槽につかる瞬間は、息を飲むかのごとく、神妙な面持ちで足をつけた。

そして「おお!」という、歓喜の声をあげた。

「お母さん生まれてこのかた靴下はいたまま、お風呂入ったことないねん。どんな気分なん?」と、息子に聞いてみると、

「最高や!」と、満面の笑みで答えてくれた。
靴下はいて風呂入るだけでこんなに人って喜べるんだと、感心さえした。

そのあと風呂場を出る際に、べちょべちょの靴下のままバスマットに足を乗せようとしたので、
「それは、あかん!」と一喝すると、しょんぼりしながら、靴下を脱ぎ、一生懸命水気を絞っていた。

しかしその後、陽気なテンションで過ごしていた息子。

そうか、これやったらあかんやろうということをすると、男の子はとてつもない、いい顔をするのだな、という母の気づきだった。








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# by mosottto | 2018-02-14 11:57 | エッセイ | Comments(6)


夫がメキシコから帰国した。

前回アメリカ経由での帰国時は、死神のような形相だったが、今回は日本での乗り継ぎで楽チンだったのか、40を過ぎたおっさんにはないハツラツさを醸し出して、さわやかに帰国した。

メキシコの床屋で断髪式をしたようで、ロン毛もばっさり、短髪になり少しばかり若返ってもいた。

断髪式途中の様子がフェイスブックでアップされていたのを見たときは、ボブというか、おかっぱ姿だったので、うちの夫、どうしちゃったんだろうと首を傾げたが、その後さっぱり刈り上げたので、内心ほっとした。


前回の旅では腹を下していたが、今回は一度もなかったようで、逆に日本に帰国して早々、腹を下して首を傾げていた夫。
腹がメキシコ腹になってしまったのだろうか。

夫からのおみやげは、前回はでっかい水晶玉だったが、今回はターコイズのペンダントトップであった。さらにでかい水晶玉を買ってくるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていたが、またほっとした。


数日後、新しい髪型になり、ちょくちょく鏡を見ていた夫は、突如叫んだ。

「後ろを見てくれ。じゃがいもみたいになってる!!」

よく見ると、サイドはグラデーションできれいに刈り上げられていたが、後頭部が若干もっさい刈り上げ(中二野球部というかんじか)になっているのだ。

誰もあんたの後ろ姿なんて見ちゃいないよ、と夫に促すも、

「納得いかない。こんな、じゃがいもはいやだ!」と、口をとがらせている。
「あとでいいかんじに後ろ刈り上げてくれない?」

床屋でもないのに、嫁のわたしがバリカンを駆使しなくてはいけない。
二千円握りしめて、近所の床屋に行って欲しいと、切に願う。


今年41歳になるおっさんの、春間近。








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# by mosottto | 2018-02-13 10:27 | エッセイ | Comments(0)


人が死ぬという事実を体験したのは、今まで何度か遭遇した。

初めて、人が死ぬんだ、ということを知ったのは、幼稚園くらいの頃だろうか?
母の祖母のお葬式で(つまりわたしのひいおばあちゃん)、正確に言うと、火葬場で知った。

おばあちゃんっ子だった母は、その祖母の死を悲しみ、骨になった姿を見て、大きな声を出して、崩れ落ちるように泣いていた。
まだ幼かったわたしは、その母の後ろ姿をただぼんやりと眺めていた。
いつも笑顔で冷静な母が、感情をむき出しに、肩を揺らして泣いている姿にとても驚いた記憶がある。

その数年後、わたしの実の兄が死んだ。17歳だった。
お葬式ではたくさんの人たちが泣いていたのを、ぼんやりと眺めた。
わたしはちっとも泣けなかったのだ。

しかし火葬場に行き、白骨になった兄の姿を見て初めて、わたしは祖母を亡くした時の母のように、くずれ落ちるように泣いた。
内臓のあたりの骨が、黄色くなっていた。長期のガン治療によるものだという。

またその数年後に、祖父母が死んだ。

30代を過ぎて、恩師とも言えるおじさんが死んだ。
病院にお見舞いに行った数日後だった。
お通夜ではタバコをくわえた遺影と、ギターが飾られていて、ミュージシャンたちが夜通し歌っていた。

その数ヶ月後に、元気な産声をあげて、息子が生まれた。

その2年後、仕事仲間であった友人が、33歳という若さで死んだ。
音楽や文学を愛し、フランス映画に出てくる女優のようにうつくしい人だった。

そして、そのすぐ後に、夫の祖母が死んだ。
91歳という大往生であった。
ひ孫である、息子をとてもかわいがってくれ、それが生きる力になっていた。

3歳だった息子はひいばあちゃんの死をどのように受け止めていたのかはわからないが、まるい目をして、ひいおばあちゃんの骨を一生懸命拾っていた。

しばらくして、息子が思い出したかのように言いだした。

「おおばあちゃんな、お空の上で、赤いスポーツカーに乗ってるで

空を見上げると、今まで死んでいった人たちが遠くでまだ生きてるかのように感じる。

わたしたちは生まれたら、必ず、死ぬ。
それは呆気なく終わるのだけれど、でも、またどこかでうつくしい命が誕生しているのだ。




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# by mosottto | 2018-02-08 12:18 | エッセイ | Comments(0)

アップルストアにて。


去年自分のパソコンがついに壊れ、夫が愛用していたMacが手元にやってきた。
しかしシステム上のトラブルがあり、サポートセンターに電話すると、アップルストアに持ってきてくださいとのことで、予約をした。
その日にサポートセンターから、「◯月◯日13時25分、心斎橋アップルストアにチェックインしてください」とのメールがあった。

チェックイン?ホテルか?
しばらくアップル製品から遠ざかっていたが、なんだか様子が違いすぎていて、そわそわしだす。

当日、10年前くらいにVAIOを買ったときにおまけでもらった、一昔前のサラリーマンが持っていたようなもっさいパソコンケースにMacBook Proを忍ばせ、電車に乗り、心斎橋へと向かった。

チェックイン?すると、そこは様々な人種の人々で溢れかえっていた。
観察すると、ほとんどの人がiPhone関連のことで来ているようだった。
カウンターに通され、もっさいパソコンケースからMacを取り出し、担当者が来るまでぼんやりしていると、隣に70代すぎのおばあちゃんが座った。
やりとりが聞こえ、スタッフが「ああ、この子はね〜」などと、iPhoneのことを「この子」と呼んでいることに、はっとした。

、、すごい、ほんまにアップル製品好きなスタッフなんやなあ。まあ、その気持ちはわからないでもない。20年前に初めてMacを買った時、わたしもそんな風に呼んでいた気がする、とぼんやり回想していると、わたしの担当者が来て、Macを見てもらうことになった。

しばらくして、その担当者が「この子には、このOSだと重すぎるみたいですね」と言い放った。

どうやら、アップルストアでは皆製品のことを「この子」と呼ぶらしかった。
まるで我が子のようにMacに接するスタッフに、軽く衝撃を受ける。
例えるなら、自分の息子を小児科に連れていき、先生に手厚く診てもらっているかのような対応である。

OSを入れ直してもらっている間、ただただぼんやりとした。

夫がお茶か何かをこぼして、汚くなっていた画面を、スタッフの人が丁寧に拭いてくれ、中古のMacはOSも新たになり、きれいな状態に戻ったのだ。

そしてまたもっさいケースに入れ直し、無事に帰宅したわけである。


快適にネットや写真も取り込め、あの去年の眉間にしわをよせながらパソコンと奮闘していたのはどこへやら。
けれどわたしの中の20年前のアップル信仰は影を潜め、アプリケーションはまだサファリか写真くらいしか起動させていない。

そのうち、「うちの子がね」と言いだす日は来るのだろうか。










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# by mosottto | 2018-02-05 11:30 | エッセイ | Comments(0)

京都大丸にて。













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budousannsyoさんの記事を見て、へ〜!京都大丸にこんなスポットあるんやーと思っていたら、ちょうど四条方面に用事があったので、大丸に立ち寄ってみた。

は!ここか!と少し興奮。
こんななんでもない絵を、あんな風に切り取られるなんてすごいなあと、一人感心して立ちすくむ。
そして、自分も真似してスマホで撮ってみるが、ぜんぜん違うじゃないか。
しかも、ママチャリが丁度置かれてるところが、妙にわたしっぽいと納得する。


記事はこちら↓とても美しいです。




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# by mosottto | 2018-02-02 14:40 | カメラ | Comments(0)

寝起きの悪い息子は、その日の朝食によって食いつきが違う。

好きなものだと、早くさっさと食べ終わるし、それ以外だと一時間もだらだらと朝食に費やす。

朝のバタバタの時間、こっちは洗濯に片付けにいろいろやることがあるんだよ、という気持ちが先行してか、やはり息子にはさっさと朝食を済ませてほしい。

毎日の朝食でこれは早かったというものは、パンケーキにフレンチトーストという、甘くて食べやすい朝食だ。
逆に進まないのは、お味噌汁、ごはん、納豆などという和朝食。
おかずは早く食べ終わるが、ごはんと味噌汁を行ったり来たり、そして途中で宇宙と交信しはじめる。
わたしが見兼ねて、「ごはん!」と声かけすると、息子ははっとして手をつけるも、また宇宙との交信に入る。
この宇宙との交信スタイルに入ったときは、わたしは忍の一文字で息子の朝食を待たねばならない。

朝からがみがみ言うのもしんどい。
やはり、好物作戦やと、息子が食べたがっていたドーナツを作ることにした。
揚げるのは朝からヘビーなので、ネットで調べた焼きドーナツにした。

焼きドーナツは今まで作ったことがなく、わたしも焼き上がるのを楽しみに待った。
しかし分量(若干わたしの料理にはどんぶり勘定的なところがある)なのか、作り方がまずかったのか、出来上がったそれは、粉っぽくて、ずんと重たい、言うなれば粉の塊だった。
味見の時点で「失敗した!」と思ったが、それを顔に出さず、
「さあさあ、待ちに待ったドーナツやで〜」と、満面の笑みで食卓に出す。

息子は慎重にそのドーナツを眺め、ゆっくりと口に入れた。
そして、真顔でこう言い放ったのだ。
「おかあさん、このドーナツおいしくないね」


その通り!
息子の真実の言葉に大いに頷いた。
「そうだよね、おいしくないよね」と、苦笑いして、お茶で粉の塊を流し込んだ。
ふと見ると、あと4個も残っていてぞっとした。

翌日、その粉の塊ドーナツに溶かしたチョコレートをかけて、
「チョコドーナッツや!」と、高らかと食卓に出すと、

若干疑わしい顔をしながら息子は静かに口に運んだ。
「チョコはおいしい。でもチョコがかかってないとこは、なんかぱさぱさだよ?」と言った。
わたしは無言で食べた。

先日風邪を引いた息子に、ごはんに味噌汁をかけた、猫まんまを出すと、
「めっちゃうまい!」と、フレンチトーストを上回る速さで完食していた。
しかも、「おかわり!」とまでも。

我が家の朝食遍歴はこうして続いていくのである。










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# by mosottto | 2018-02-02 10:27 | エッセイ | Comments(2)