写真サークルに属していながら、まったくカメラを持ち歩いていない日常と、文章だけのブログを書き続ける自分に矛盾を感じつつも、久々にカメラを持って街に出ることにした。

何を撮ろうとも決めず、ぷらぷらと歩いていると、なんだかメッセージ性の強い看板がやたら気になったので、みうらじゅん的な発想と思いつつも、わたしは記録し続けた。


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アスヘノトビラ、、いきものがかりの曲にありそうだ。


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おくりものに   たばこ

禁煙ムード満点のご時世、逆にいいかもしれない。



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かまんざどおり。
意味はないですが、好きな通りの名前。

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わたしのすきなふく
ってなんだろうか。考えなくてもいいのに、考えてしまいそうなフレーズ。

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ハイファイ堂
すごく京都的な名前だと、二度見してしまう。

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カリフォルニアの青い空。
すごいざっくりしたイメージ。
なんか壮大。
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伝えきれない愛を綴る。
、、、なんか重い。
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Don’t cry!
泣いちゃダメって言われても、泣けるよね。


目に飛び込んでくる言葉が、自分へのメッセージだと言うけど、なんだかよくわからないメッセージだよなあと、我ながら思う。



あとは気になった風景をいくつかご紹介。

老舗カフェのHello!の前を取りかかったら、電線に絡みまくってる植物の葉っぱがやたらやばい。
他人事ながら、大丈夫なのか?と心配してしまう。
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御池通りはいつ渡っても、清々しい。
特に河原町御池から東を見ると、東山がきれいだし、夕方に二条城方面を見ると、とても夕日がきれいなのだ。

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寺町二条西角に、新しい店ができていた。
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ソウルのレコードがずらり。わたしの好物ばかり。入りたかったけどまだ閉まっていた。
こういう店は営業時間がルーズそう、と思うのは勝手なイメージか。
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京都芸術センター。
ここの中庭にある(元校庭あと)を眺めるのが好きだ。

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河原町二条からの景色。
寒さとからっとした空とビルと車が、ニューヨークみたい(ニューヨークに行ったことはないです)


四条烏丸スタートで、御池へ上がり、西洞院を北へ、押小路からを上がって二条へ、鴨川すぐまで歩き、Uターン。二条木屋町を御池まで南に下がり、その後、三条通を西へ行き、東洞院を北に下がり、四条へと戻ってきた。

カメラ一個あるだけで、よくもまあこんなに歩けるものだと、我ながら感心した(途中、休憩でお茶したり、寄り道もしつつ)

カメラを持つと、視点が上に上がることにも気が付いた。

また気が向いたら、出かけよう。










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by mosottto | 2016-12-15 15:53 | カメラ | Comments(6)


西加奈子の新刊『i』が11月30日に発売された。

ネットで予約せずに、直接書店で自分の手で取って買いたかったので、10冊くらい平積みされてる光景を思い浮かべながら、わくわくしながら書店へ向かった。

大人になって、特定の作家の新作を期待できるということは、なんて幸福なのだろうと思いながら。(小学生の頃の『りぼん』の最新号を楽しみにしていたのと一緒だ)

ところがどこを探しても見つからず(店中を五周した)、店員に「西加奈子の新刊は入ってますか?」と聞くと、首をかしげながら何やら検索しだして、「入荷は未定です」と、店員は言い放った。

信じられなった。

その店の西加奈子の棚に、「当店おすすめ作家♡」とポップを貼ってたやないか!と、心の中で思いながら。

西加奈子の本を読んだことのないような顔をした店員が、「取り寄せしますか?」と聞いてきて、速攻「いいです」と返して、次の本屋へ向かった。

わりとこだわった雑誌や本を置いている書店に、鼻息荒く着き、「ここやったらぜったい置いてるやろう!」と、血眼で探した。

この店でも五周しただろうか。

ない!

落胆しながら店員に聞くと(本日二回目)、「えっと、、、二日後に一冊入荷予定です」


信じられない。

発売日の二日後。しかも、一冊!

お前ら西加奈子にまったく期待してへんのか!と心の中で思いながら、「予約します」と、発売日後の新刊を予約するという、なんだかよくわからないことになった。

梅田の紀伊国屋なら、今頃どーんと平積みで置いてあるんやろうなと思ったが、もう町の本屋に委ねるしかなかった。


そんなこんなで、発売日から二日後に手に入った西加奈子の新刊『i』。

内戦が続くシリアをルーツに持つ少女の話。

西加奈子の「今書かなければ」という、切羽詰まった想いが感じ取れて、一気に読みあげた。

この物語には過去の実際に起きた災害や内戦のことも、平行して書かれている。

きっと平和な国に住んでいると、みんなすぐに(わたし自身も)忘れ去られているだろう事実だ。

世界では今も戦争が繰り返されているということを、体感はできないが、ニュースで知ることはできるし、その話を誰かと話すことはできる。そして伝えることも。

毎日の速度が昔よりも早すぎて、SNSの記事のようにどんどん埋もれていく前に。

今朝たまたまテレビを付けると、BSのワールドニュースで、シリアの激戦地から反体制派が撤退、政府と合意というニュースが飛び込んできた。

自分の息子と同じくらいの子供たちが疲労困憊しながら、親に手を引っ張られ歩いてる映像が流れて、正直見るのも苦しかった。

彼らはくたくたになりながら、ある人は家族を失い、自分だけが「生き残ってしまった」状態で、生きなければならない。

西加奈子の新刊でシリアというフレーズを目にしなければ、流してしまう映像だったかもしれない。

本という媒体を通して、ひとつの物語を読んで、世界の裏側の「他人事の出来事」がものすごく近くなるような気がした。

作家として、今できることをやり通した西加奈子はすごい。

自分にできることは、世界で今起こってることを知ることと、それを誰かと話すことだろう。


後日書店に行くと、西加奈子の新刊が10冊以上平積みされているのを確認して、胸をそっと撫で下ろした。



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by mosottto | 2016-12-14 14:35 | エッセイ | Comments(0)


夕方四歳の息子がおばあちゃん家(夫の実家)に遊びに行き、そのまま晩御飯を食べて帰ってくるという。


夫は仕事でまだ帰ってきていない。
息子もいない。

しんとした静まり返った家の中。


息子がいなくても、やることはたくさんあるので、とりあえず洗濯ものをたたんだり、家事を済ませるのだが、息子がいないのでスムーズに家事が進み、途端にやることがなくなった。

ああ、今、わたしは自由な時間が過ごせるのではないか!と、一瞬興奮したが、やりたいことが在り過ぎて(読みかけの本が読みたい、録画した番組が観たい、日記が書きたい、ただただぼうっとしたいなど)あれもこれもと焦ると、結局どれもやる気になれなかった。


夫が帰ってくるまで夕飯を待とうと思っていたが、「ぐう」と腹が鳴ったので、先に食べることにした。

居間を見渡すと、息子が遊んでいたブロックやプラレールが散乱し、こたつの上にも息子が描いた落書きやちらしが散乱していた。
息子や夫が居たら、もちろん片づけてから食事するのだが、「今はひとり」という意識が先走り、わたしは途端にだらけた。


バーモントカレーをあっためて、散乱したこたつの上の紙類を軽くどけて、カレーを置くスペースだけを作った。

そこにカレーを置き、その日買った雑誌ダビンチ(西加奈子と又吉直樹の対談が読みたかったのだ)を広げ、読みながら食べ始めた。

音楽もテレビも付けず、無音でひたすらカレーを食べ、しげしげと雑誌を読みふける。

はっとした。

独身中年おやじみたいだ。

まだ36歳(もう、とも取れるが)だし、一応女性だし、子供も夫もいるけれども。

もうちょっとどうにかならなかったのか。花の一輪でも置いて、シャンパンでも片手に、一人時間を満喫できなかったのか。

それと同時に、もし自分が結婚せず子供がいない人生を送っていたとしたら、こんなだらけた生活になっていたのかもしれない。

そう思うと背筋がぞくぞくした。

しんとした部屋が、無性にさみしく思えた。

子供がいたらいたで大変だしうるさいし、ひっちゃかめっちゃかな毎日だけど、楽しみは家族分に増えるし、喜びも大きい。

ないものねだりで、ぎゃあぎゃあ騒ぐ子供がいると「ああ、静かにごはんを食べたい」そう思っても、子供がいなかったら「静かすぎる」と、さみしくなるものだ。


それにしても、この風景はやばすぎる、でも、だらけたい、そう思った瞬間に夫が帰ってくる音がした。

「やばい」そう思って、信じられないスピードで散乱したおもちゃや、こたつの上のちらしなどを片付けた。

中年おやじから、途端に母親が突然帰ってきてエロ本を隠す中二男子みたいになる。

夫はきれい好きなので、わたしのだらけた適当なかんじがゆるせないらしく、いつも懇々と怒られている。

怒られるのが嫌だと思い、無我夢中で片付けた。
片づけた後は、何事もなかったかのように涼しい顔で「おかえりー」と、出迎えた。

「やっぱ子供がいないと、静かやな。なんかひとりで食べてたらさみしくなったわ」と夫に言うと、一瞬憐れんだ顔をして、「ほな、一緒に食べよか」と夫は言った。

熟年夫婦のように黙々とバーモントカレーを食べる夫婦。
録画しておいた、日曜美術館のダリ特集を、二人でじっとみた。

「ダリ、男前やな」そうつぶやいた瞬間、

おばあちゃんに送られて息子が帰ってきた。

「ただいまー!」
希望に満ちた声である。




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by mosottto | 2016-12-10 20:46 | エッセイ | Comments(2)

映画、海よりもまだ深く


是枝裕和監督の新作映画『海よりもまだ深く』を観に行った。

少し前に購入した雑誌SWITCHの樹木希林特集(わたしは樹木希林のファンなのです)で、是枝監督とのインタビューやこの映画についても書かれていたので、興味があったのだ。

でも是枝監督の映画は一本も観たことがなかったので、予習の意味で、『歩いても歩いても』をTSUTAYAで借りてみた。

うわ、辛気くさいホームドラマやな、と正直に思った。

だから今回の新作も辛気くさかったらどうしよう、と中々気が進まなかったのだが、タイミングよく京都シネマに行く機会ができたのだ。


しかし幕が開いたら、辛気くさいとは程遠い、どうしようもないくらいユーモアにあふれた映画で、この映画の主人公のキャラクター(親のすねをかじって、嫁に愛想をつかされた、売れない小説家)がうちの夫にそっくりだったので、もう笑うしかなかった。

映画の中が、現実なのか、現実が映画なのか、もはやわからない状態になってしまうくらい、「うちのどたばたホームドラマ」を観ているようだった。

うちの夫はこの主人公のようにギャンブルをするわけでもないし、嫁(わたし)に愛想を尽かされ離婚してるわけでもないけれど、「結婚にまったく向かない男」ということと、「夢を追いかけてる男」という共通点がまったく一緒で、醸し出してる空気感がほぼ夫であった。
だからある意味笑えない映画なのだけど、もう声をだして笑うしかないのだ。


あー、いい映画だった、とぼんやりエンドロールを眺めていたら、なんと終わりに是枝監督が登場した。
実は今日は監督による舞台挨拶だったのだ!

お客さんの質問に答えるコーナーがあり、会場の是枝ファンが質問
していた。もう今日で4回目です、という方も。
同じ映画を劇場で4回て、すごい。

隣に座っていた青年が緊張しながら手を挙げた。

「監督の映画は大変ミニマムな作りの映画が多いと思うのですが、、」と喋り出した。
真顔で「ミニマム」と発する人を初めて見て、少し引いた。

なんだよ、ミニマムって。日本語で言ってくれよと、心の中で思いながら、質問コーナーは終わってしまった。


その後も監督は劇場に残っていたので、パンフレットにサインをしてもらった。

もちろん、「あの主人公、夫そのままでした!」と報告。

監督は「あ、観ててイラついた?」と、聞いてくれたのだが、イラつきはしなかったのだ。

観終わったら、あの主人公もあの映画もまるごと愛おしく感じだのだ。
自分の人生も家族も、まるごとおもしろいわ、と思えるくらいに。


ほんと素敵な映画だった。
樹木希林さんは最初この映画の出演を断っていたらしいが、観たら、希林さんにしかこの役はやれない、希林さん以外にこの役を演じられる人はいないと思った。
さすがだ。
阿部寛の人間味あふれる演技もだいすきだ。





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by mosottto | 2016-12-09 14:17 | 映画のこと | Comments(2)