京都に愛宕山という山がある。

子供が三歳までに上ると、その子は一生火の難から免れるという言い伝えがあるらしく、息子が二歳の時に、夫が突然登ろうと言い出した。

なんでわざわざしんどい思いして、山になんて登らないといけないんだ!と、子供の様に「嫌だ、登りたくない」と拒んだ。

夫はもともとアウトドア派なので登山したかったらしいのだが、わたしは正直家でゴロゴロしていたいのだ。


結局は息子のためだけという理由で、渋々承諾した。

1000m近い山なので、二歳の息子が自力登頂できるはずもなく、長らく使ってなかったおんぶ紐をリュックに詰め込みながら、憂鬱な気分になった。

こうなったら楽しみといえば、登頂してから食べるお弁当しかない。
はりきって朝からから揚げを阿保ほど揚げて、おにぎりも5人家族分くらい握って用意した。
お菓子も、お茶も、、とあれこれリュックに詰め込んだら、10キロ以上の重さになっていた。
まったく登山がどういうものかを理解せず、ピクニック感覚であった。

そのパンパンのリュックを背負ったら、一瞬ふらっとした。
ますます憂鬱になった。


清滝まで車で行き、いざ登山である。
愛宕山は最初の傾斜がきついということを知らず、びっくりするほどのおにぎりを詰め込んだリュックを背負いながら歩きだしたら、頭が真っ白になった。

前を見ると、5分も経っていないのに、息子は「おんぶー」と、夫に全体重を預けていた。

息子をおぶっても体力がある夫は、スタスタと登っていくが、体力ゼロ、やる気ゼロのわたしは、よたよた歩きなのでどんどん引き離されていく。


だんだん腹が立ってきて、「山になんて登りたくなかったんや!」と絶叫すると、夫とケンカになった。

「なんでやねん!」「うるさいわ、ぼけ!」と、見るに耐えられない幼稚なケンカになり、下山してきたおっさんたちが、こちらを
ちらっと見て引いていた。

ある程度、罵詈雑言を吐き出したらすっとして、気持ちを入れなおして、がしがし歩き出した。

そのわたしのやる気スイッチを察知した夫は、

「そうや!そのガッツや!それが見たかったんや!」と、アニマル浜口ばりに喜んでいた。

誰やねん、と心の中で思って、体育会系のノリの夫を無視してひたすら黙々と登り続けた。

途中でお母さんんじゃないとダメモードになった息子をおんぶすると、おにぎりリュックより軽かった。
息子は12、3キロ。わたしはどれだけのおにぎりを詰め込んだのだろうと、ぞっとした。

それでも傾斜がきつい山を二歳児おぶっての登山は、意識が飛ぶくらいハードであった。
実際に、辛すぎて記憶がない。
人間辛すぎることはすぐに忘れてしまえるという、素晴らしい装置があるのだと知った。

気が付いたら登頂で、その解放感にほっとした。

信じられない量のお弁当を平らげ、下山するというのに、体が重くなり、後悔した。

下山したら、体はへとへとなんだろうなと思っていたら、びっくりするくらい体が軽くなっていた。
ふわふわと宙に浮いてるような爽快感、ランニングハイならぬ、登山ハイ。
あまりに軽すぎて楽しすぎて笑っていたら、横で夫が引いていた。

普段運動しない自分の体力のピークを大幅に越えてしまって、逆におかしくなってしまったようだ。


「いや~登山ってほんと、楽しいわ!爽快!!ねえねえ、次はどの山に登る?!」と、登山前のリアクションとは真逆になってるわたしを見て、夫はうんざりした顔をしていた。




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by mosottto | 2016-11-27 13:38 | エッセイ | Comments(4)


前に手相を観てもらった時に、おばちゃんに「あーた、海外と縁があるわね」と言われたことがある。

え、と思った。

海外なんてフランスとグアムという王道中の王道の(しかもツアー)ところへしか行ったことがないわたしである。

一方夫は、タイや台湾、ブラジルには一年住んで(公園で野宿もしていたそうだ)、メキシコをバックパッカーで周り、キューバに二年住んでいた人である。
キューバでは日本人には思われず、ボリビア人に間違われ、現地のキューバ人に「おまえキューバ人みたいやな」と言われたほどだ。

どう見ても、縁があるのは夫だろ!と思うのだが、ふと思い出した。

独身時代に住んでいたアパートでの出来事である。

同じ階に、魔法使いにしか見えない風貌のおばあちゃんが住んでいた。
アパートの入り口ですれ違った時に、

「ちょっとちょっと!あんた、どこの留学生や!」と、身を乗り出して迫ってきたので呆然としていると、

「中国か?!中国からの留学生か!」と、はっきり断言されたので、

「イエ、ワタシハ ニホンジンデス」と、なぜか片言口調で答えたら、

「ほー、中国から留学大変やな」と、わたしを中国人と間違えたまま、おばあちゃんは部屋に帰ってしまった。

それ以降も何回かすれ違う度に、留学生呼ばわりされていた。


あの日本人を超えた、魔法使いみたいな風貌のおばちゃんが、未だに謎である。




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by mosottto | 2016-11-25 15:38 | エッセイ | Comments(2)



気に入った店には足繁く通ってしまう方なので、すぐに店の顔馴染になってしまう。(独身時代週一で通ってたカレー屋では、「○○さんとお知合いですよね?」と、素性がすぐにバレてしまって、ものすごく恥ずかしかった。)

顔馴染になってしまったら、一々会話を交わさないといけなくなるので(4ラリーくらいだろうか)、面倒になってしまって、一気に通わなくなるのだ。



そんなわたし、最近TSUTAYAのヘビーユーザーである。

三日に一度くらいは通ってる。


映画をいろいろ観出して、ちょっと重いテーマのものが多かったので、頭の中でバランスがとれなくなり、お笑いのDVDを借りて脳をふわっとさせようと思ったのだ。


アメトークを中心に観ていたら止まらなくなり、久しぶりにすべらない話なんかにも手を付けだした。

兵藤や、原西、やっぱおもろいなあと思いながら腹を抱えて深夜に一人で爆笑していた。


いつも大体同じ時間に返しにいくので、カウンターの人が同じことが続いていた。
50手前くらいの女性である。

「あ、この人また来てはるわ。お笑い好きやなあ」って、思ってるん違うやろかと、内心推測し始めるようになった。

でも毎日いろんなお客さんが来て、流れ作業のように受け付けてるわけやし、一々誰が何借りてるかなんて見いひんよな、とも思った。


そんな中、今日も堂々とお笑いDVDをばこーんとカウンターに置くと、いつものおばちゃんだった。

はっとした顔になったおばちゃんは、
「これ、一人で出てはるんですかね?」と、聞いてきた。
業務的な話なのか?と一瞬聞き間違えた?とも思ったが、どうやら、すべらない話に松っちゃん一人で出演してるかどうかということだった。

「いえ、ゲストの方が何人か出られてて」
「あ、そうですか。おもしろいですか?」
「いや~ゲストにもよりますね。」
「ああ~そうなんですね、前から気になってたんですよね!」
と、わたしとおばちゃんの微妙なラリーが繰り返された。

極めつけは、今まで業務的な「ありがとうございました」だったのが、いきなり「いつもありがとうございます!またお越しくださいっ!」と、満面の笑みに変わったことだ。

なに、一気に心開いとんねん!と、心の中でツッコんでしまうほどに。

(以前某コーヒーショップで、店の方針なのか、気さくにお客さんに喋りかけよとの業務命令なのか、棒読みで「今日は、いい天気ですね」と、固まった顔で言われた時よりは、おばちゃんの接客はスムーズだったけれども!)

きっと店員の間では、「最近お笑いにハマってて、たま~に暗そうな映画を借りていく人」と裏で言われているだろう。

気さくな人と思われて喋りかけられたのかもしれないが、ビデオ屋の店員とのフリートークは、何かとても恥ずかしい気になるのはなぜだろう。




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by mosottto | 2016-11-22 16:59 | エッセイ | Comments(4)



昔からあだ名というものをつけられたことがなかった。

小学生の時は、ちびまる子ちゃんに出てくる’野口さん’(布団の中でラジオを聞いてくすくす笑っているような暗い子)みたいな得体のしれないような存在だったので、同級生からは名字でさん付けで呼ばれていた。

あだ名をつけられず、一生を終えるのか、地味な人生や、、とぼんやり思っていたら、社会人になってからぽつぽつとつけられるようになった。

20歳くらいの時に働いてたバイト先では「ジョー」

20代後半で働いてたカフェでは、「タミー」

いずれも外人かぶれした名前だ。


結婚、出産後はもうそんなあだ名を誰にもつけられることはないだろうと思っていた。
ところが先日、保育所に息子を迎えに行ったとき、年中さんの男の子が、わたしめがけて走ってきて、ファイティングポーズをとった。
「お?やんのか」と、その子を見つめていたら、

その子はわたしを指さし、

「チェリーちゃんっ!!」と、大声で吐き捨ててどこかに走っていった。

チェリーちゃん、、
息子は一瞬こっちをちらっと見ただけで、ノーリアクションだった。


その数日後、息子が急にわたしのことを「はなこさん」と呼ぶようになった。
はなこさんの出所はまったくわからない。

「ねえねえ、はなこさん、ちょっとそれ取ってくれる?」
「はなこさん、恐竜ごっこしよう!」
といった具合に。

チェリーちゃんに、はなこさん。

もう、わけがわからない。


あだ名をつけられてこなかったので、すこし嬉しい気もするが、戸惑いのほうが大きい。





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by mosottto | 2016-11-16 15:19 | エッセイ | Comments(0)


某日、早朝。
誰も人は来ないだろうと思って、寝起きの恰好で息子の靴を玄関先で、ごしごし洗っていた。

寝起きの恰好というのは、首が冷えるので粗品でよく貰う会社名が入った薄いタオルを首に巻き、頭はぼっさぼさ、ちょっと首回りがだるっと伸びたユニクロのトレーナーに、腰が冷えるので腹巻、ちょっともけっとした靴下にサンダル、というスタイルである。
もちろん化粧はしていないので、眉毛がほぼない(正確に言うと、柴犬のようにちょろっと生えている)

そんな恰好で必死に靴を洗っていると、ふと気配を感じた。

ちらっと見ると、隣の家の奥さんが立っていた(わたしよりたぶん年下)。
化粧もばっちりされて、ちゃんとした服を着ている。

「あっ」と小さな声を出した奥さんの口元は、明らかに笑うのをこらえている口元で、目は完全に笑っていた。


「あの、これ」と、回覧板を手渡そうとする奥さんに、へらっとした気持ち悪い愛想笑いで受け取ってしまった。

二人の間に微妙な気まずい空気が流れ、そそくさと奥さんは家に戻った。

きっと、化粧をして服を着替えていたら、「おはようございますっ」と、自信をもって元気に挨拶できただろう。

なぜあんな気持ち悪い笑いを返してしまったのだろう。

そして隣の奥さんも早朝に回覧板持ってくるなんて。

とりあえず今のは幻だと思いながら、靴を思いきりごしごしと洗った。







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by mosottto | 2016-11-15 15:16 | エッセイ | Comments(0)

永い言い訳


西川美和監督の最新映画、’永い言い訳’を観に行ってきた。

その前に、初期の作品’蛇イチゴ’のDVDを夫と観たのだが、

「ただでさえ日常生活が嫌なこと多いのに、映画の中でもヒリヒリになりたくない。こんな映画は嫌いや!」と言い放った夫。

「人の好きな映画をぼろくそ言うな!自分の心の中だけで思っとけ!」と、わたしは抗議した。

夫は西川監督の描く、「人間のだめな部分」というテーマが嫌なようである。
以前も書いたが、夫は映画に大変感情移入するタイプなので、ダメな登場人物たちと同じようにヒリヒリしてしまうらしい。
なので、観ていて非常につらいのだ。

わたしは、人間が持ってるだめな部分こそが、ザ・人間!と思ってるので、見ていて登場人物が愛すべき人に思えるし、ほー、この俳優さんそういう演技するんか、とか、へー、こんな撮り方あるんか、とか、作品全体を見渡してるような見方をしているため、まったく感情移入しない。

どっちの見方が良い悪いもないだろうし、人の視点なんて十人十色でいいじゃないかとも思うが、自分が嫌な気分になったからといって、目の前でこんなクソ映画と言われると、非常に腹立たしい。

「うるさいわ、ぼけ」と思いながら、意気揚々と映画館へ向かった。

京都シネマという、大変狭い劇場が、ほぼ満席に埋まっていた。

シニア世代が異様に多い。
’ディアドクター’で知ってファンになった層だろうか。わたしはまだ’ディアドクター’を観ていないけど、勝手にそんな気がした。


映画はすごく完成度が高くて、見やすい映画だった。
くすっと笑ってしまうシーンもあるし、どこかほっこりする。

あまりに完成度が高すぎて、見終わってからぼんやりしてしまった。

そのあと、フランス×ドイツ×ユーゴスラビア合作のサラエボ出身の監督の’黒猫 白猫’を夫と観る。

とにかく奇想天外、はちゃめちゃで奇天烈な映画だったけど、夫は大絶賛していた。
昔のドリフのコントに近いかんじ。んな、あほな、と何度もツッコんでしまった。

登場人物はみんな奇天烈、嘘はつかず、みんなやりたいことをするという、ここ日本においては中々のはみ出しキャラなのだが、みんな奇天烈だから誰も浮いていない。
ストレートな夫にはこの映画の世界観がぐっとくるらしい。

たぶん夫が’永い言い訳’を観たら、発狂するだろう。

わたしは対極の映画を同時に観て、もうお腹がいっぱいだ。






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by mosottto | 2016-11-09 14:26 | 映画のこと | Comments(2)

ベトナムタクシー


車で15分ほどの滅多に来ない公園で、息子と遊んでいた。

落ち葉が舞い、秋らしい風景に、おっそろしく冷たい風。

寒いので息子とただただ走った。走った直後はあたたまるが、すぐに体は冷え切ってしまう。

コアラの子供用の乗り物を、「いけーーー!」と叫びながら競馬騎手のように乗っている息子を見つめながら、「早く帰りたい」と思っていた。

なんとか息子が帰る気になって、しめしめと思っていたら、近くからにぎやかな声。
5,6人の女性たちで、日本語を喋っていない。アジア系の顔立ち。声がものすごくでかくて、なんだか楽しそうである。
こんな観光スポットでもないところなのになあと思いながら歩いてたら、一人の女性がスマホを持ってニコニコしながら近づいてきた。

ああ、写真ね。そう思って待機していたら、

「スミマセン、ココ イキタイデス」

片言の日本語話す女性に、聞きなれない言葉を話しながらスマホを指さす女性。一斉にとにかく話しかけらる。

まとめると、どうやら京都駅に行きたいらしい。

その公園が最寄駅からかなり遠くにあり、タクシーを拾っていったほうがいいと伝えると、「タクシーは?」ということになった。

「ちょっと待ってね」と、わたしが調べようとすると、女性たちは満面の笑みで「スミマセーン!」と、言った。


通りで待っていても中々タクシーはつかまらないし、配車をしてもらえるようにタクシー会社に電話した。
数件電話したが、繋がらなかったり、空車がないとのことだった。


ああ、、と途方に暮れかけて、ぱっと遠くを眺めると、その女性たちに抱っこされた息子は楽しそうに、写真を撮ってわいわいしていた。
「カワイイ、カワイイ」と言われながら、息子もまんざらでもない顔をしている。

なんだか、楽しそうだな、と思いながら、
「タクシーつかまらないから、うちの車に乗って、最寄り駅まで送るよ」というと、彼女たちはまたもや満面の笑みで、「アリガトウゴザイマーッス!」と言った。

車に乗ったはいいが、後部座席を振り返ると、定員オーバー、インドのバスか!と思うくらいのキュウキュウぶりだった。(うちの車はただの乗用車です)
「オッケー!!」と口を揃えて笑う彼女たちに、「もう、いい、なんとなる」と思いながら、アクセルをふんだ。

どうやら彼女たちはベトナムから来ていて、日本で仕事をしているそうである。今日は観光でうろついてるようだ。

どこに住んでいるの?と聞くと、「じゅーそー」
ああ、十三!大阪ね、と言うと、「ノーノー、キョウト!」

京都にじゅうそうってあったけ?

なんていう、よくわかならい会話をし続けた。

一人の女の子が「でんしゃ」のことを、「じてんしゃはどこ?」と間違って聞いていたので、後部座席の友達に「あんた、ちがうわ!」(ベトナム語で)と、後ろからばしっ!と、はたかれていた。
ベトナムでも、ツッコミ文化があるのかと一瞬目を見張る。


そして「ベトナムといえば、、フォー(ベトナムの麺)が好き」と言うと、彼女たちは一斉に盛り上がり、「ああ、フォーね!!」と大いに喜んだ。


ぱっと息子を見ると、生まれた時から彼女たちの傍で暮らしていたかのような、くつろいだ顔をしていた。

にぎやかなずっこけベトナムタクシーツアーはJRの最寄り駅で終了した。
「これに乗ったら、京都駅すぐやし」と伝えると、「アリガトウゴザイマース!」と、みんないい笑顔をくれた。

比較的日本語が喋る女の子が、「フォーをあなたに贈りたいから、住所を教えてほしい」と言ってきた。
レシートの裏に住所と名前を書いて彼女に渡した。

「アリガトウ!!」と、彼女と握手して、みんなを見送った。

ちゃんと彼女たちが京都駅に着けるか、フォーが送られてくるかどうかわからないが、ベトナムの女性の目はきらきらときれいで、どこか親しみがわくすてきな笑顔であった。


家に着くまで妙にテンションが上がり、昨日作ったバーモントカレーを息子と食べながら、ほっこりした。



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by mosottto | 2016-11-06 19:38 | エッセイ | Comments(0)

父と娘の共通点

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我が家のトイレの前に張り紙がしてあった(写真参照)。

わたしがいつも電気つけっぱなしなので、夫が電気消せよと、張り紙をしたのだ。


「あぱが ら るす」とは、スペイン語で「電気消せ」という意味らしい。

夫は生粋の日本人である。

わたしも日本人だ。英語はおろかスペイン語のスの字も知らない。

なのになぜ、スペイン語なのだ!


まあ、そんなことはどうだっていいだろう。

この張り紙をぼんやり見て、ふと思い出した。

「あ、わたしこんな張り紙書いたことある!」と。


30年以上前、父親が戸を最後まで閉めなかったり、いつも電気つけっぱなしだったりで、いつも母がぼやいていた。(母はとてもしっかり者で厳しく、父はのんきな方である)

幼き私は、きちんとしてても、してなくても、ドアがちょっと開いてようが開いてなくても、そんなこたあどうでもいいやろ、と内心では思っていた。
なぜ、母があんなにキーキー怒ってるのかもよくわからなかった。

しかし怒りっぱなしの母を見てるのも正直しんどいので、父に向けてトイレに張り紙を貼ったのだ。
イラストつきで、大きく電気をちゃんと消して!と。


30年以上時が流れ、あれ?今度は自分が張り紙されてるではないか!

驚愕だ。

3歳の息子にも、「お母さん、ちゃんと最後まで閉めんとあかんやろ。出しっぱなしやん」などと、怒られている。

息子に注意されるたびに、自分のだらしなさが浮き彫りになっていくようだ。




父親と娘の共通点を30年目にして見つけた。







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by mosottto | 2016-11-04 11:40 | エッセイ | Comments(0)


休日の午前中、だだっ広い公園で、突然わたしはラグビーの練習をさせられることになった。


夫がラグビー部だったので、五郎丸が騒がれる前から、ずっと息子にラグビーを教えようと、子供用のラグビーボールを買って鼻息荒くしていたのだ。

しかし、2歳(当時)の息子は、まったく関心を示さず、4歳になる今でも気持ちいいくらいに無関心だ。

途方に暮れた夫は、隣でぼうっと立っているわたしに狙いを定め、ラグビーボールを投げてきたというわけだ。


ほとんど夫の練習につき合わされている。

ラグビー経験者でもなければ、運動能力ゼロの嫁をつかまえて、ラグビーって、どういうことなんだ。


走ってパスするという、ランパスに始まり、夫が蹴ったボールを取りに行くなど、ほぼしごきに近い。

しかも、夫が加減したボールを受け止めるのでも、結構な力がいる。


「うおっ」「ごっ」「だはっ」「のうっ」
など、人生で出したことのないうめき声が出てきてしまう。

うめく度に、夫は「だはははは」と、遠くで笑っている。

心の中で「このやろう」と、思いながら全力で夫に投げ返すのだが、ゆるやかな放物線を描いて、「ぱすっ」と軽い音をたてるだけだった。

自分の腕力、肩の弱さにへどがでる思いだった。



ラグビー千本ノックを受けてる間に、息子はどうしてるのかというと、公園に落ちてるどんぐりを皿に入れ、どろどろの水を入れて、木の棒でかき混ぜていた。

「どんぐりスープ作ってんねん」と、息子は息子でなんだか忙しそうだ。


思い切りボールを投げる夫に、欽ちゃん走りでボールを追いかける嫁、そしてすごくえぐそうなどんぐりスープをつくる息子。
もう、わけがわからない。

そんな平和な休日だった。



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by mosottto | 2016-11-01 09:58 | エッセイ | Comments(0)