カテゴリ:エッセイ( 34 )

春、母になる。


もう春である。

5年前の春、わたしは夫と結婚し、夫の実家で同居することになった。
誰も知り合いがいない町に引っ越して、家の周りは田んぼや山やら、自然だけは充実していたのである。

街中から引っ越してきたので、しばらく途方にくれた。
カフェも店もなにも、ない。
友達もいないし、家では気を遣うし、とても毎日が緊張と不安の連続であった。


そしてある時、姑のあるひと言に大変傷つき、わたしは突如脱走した。

裏の山に逃げ込み、それはそれは悲劇のヒロインばりに大泣きしたのである。
わんわん泣いていると、そこは犬の散歩道にもなっているので、大きなレトリバーと中年のおっさんが通りかかり、

「どうしたんですか?」と、おっさんは軽く引きながら声をかけてきた。

まっ昼間に山の草陰で、三十路過ぎの女が泣いてるのである。
なかなかない光景に、やはりおっさんは引いていた。

わたしはおっさんにつらい状況を言いかけたが、口から出てきた言葉は、
「なんでもないです」
だった。

なんでもないわけ、ねーじゃん。という顔を残しておっさんとレトリバーは去っていった。

わたしは悲劇のヒロインごっこをやめ、山から降りて、住宅地をとぼとぼと歩き始めた。
帰る家は、夫の実家だけである。
でも今帰ったら姑もいるし、バツが悪い。
帰りたくない、そう思いながら、携帯で実家の母に電話をした。

すべての話を母は黙って聞いてくれ、最後にこう言った。

「あんた、もうすぐ母になるんだから、強く生きなさい」

正義感と責任感の塊のような母らしい一言であった。

わたしは腹を決めて、家に戻った。
心配していた姑に、自分の気持ちを伝えたら、姑は泣きながら「ごめんな、ごめんな」と謝ってくれた。

それから三年間、わたしたちは時にケンカしたり、笑ったり、喜んだり、泣いたりしながら、家族としての時間を過ごした。

5年経った今では、第二の実家のように、いつもくつろがせてもらっている。


しかし、あの茶番劇のようなわたしの振る舞いは、今思い返すと恥ずかしさを超えて、お笑いである。
子供だったのだ。


姑の一言で山に逃げ込むなんてこと、今はもうしないだろうなあと思うと、すこしさみしい。

母になり、オブラートのように薄かった心が、ドラム缶のように大変頑丈になってしまったからだ。









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by mosottto | 2017-03-23 11:48 | エッセイ | Comments(0)

ずっこけ春の梅田祭


久しぶりに家族三人で梅田へ出かける。

知り合いの個展を観に行く為だ。

休日だったので電車は満員だし、梅田は人は多いわで、画廊に着いた途端、息子は速攻下呂を吐いて笑っていた。
談笑も束の間、すぐに画廊を後にし、梅田の雑踏に出た。

雑踏は小さな子供にとってとてもストレスのたまる場所なので、すぐに公園を探してしまうのは、母親にとって条件反射である。

男の子は特に、ただ何もないところを走ってるだけで楽しいのだ。
走れない都会はとても窮屈だ。


HEPの観覧車を見つけ、あそこに避難しようと決めた。
休日なので、15分待った。

わたしたちの後ろに、まだほやほやの若いカップルがいて、女の方がやたら男にじゃれている。
男にからかわれているのが、女はとても嬉しくてたまらない様子。
わざと口をとがらせて怒ったりするかんじが、とても見ていられない。
そうか、自分も若い時は、周りにこんな風に見られていたのかと思うと、非常に情けなくなった。

しかし、だ。
女の異常なじゃれっぷりが鼻につくので、どんな面してそんなじゃれているのだ、と、思い切り真正面の女の顔を見ると、おてもやんそっくりだった。

まあ、ふたりが幸せならそれでいいじゃないか、という結論に至ったわけである。


結婚五年目のわたしたちは静かに観覧車に乗り、静かに楽しんだ。
丁度夕暮れ時だったので、景色が三丁目の夕日のような光景で、家族三人でそれを眺められる幸福をかみしめた。

その後、夕食を食べて、夫は伴奏の仕事だったので新大阪へ向かい、わたしと息子は家路に向かった。

阪急の一番最後の車両に乗り込み、息子はかぶりつきで車掌さんの仕事っぷりを眺めていた。
アナウンスをして、ドアを閉め、最後にベルを「チンチン」と二度押すのだが、息子はこの「チンチン」と鳴る音に大ウケして、車内わりと静かだったのだが、「おかあさん、チンチンだって!!」と、息子の下品な笑いが響き渡っていた。


次の日、夫の実家に行ったときに、観覧車内の動画を夫が撮影していたので、みんなで鑑賞することになった。
テレビ画面に映し出される観覧車から見る夕日はきれいで、息子のはしゃぐ姿などを、おばあちゃんは喜んで観ていた。

しかし後半の映像で、

わたし「そりゃあ、お金持ってる人は何でも空で移動すんのわかるわ。こんな上からの景色観てたら、電車なんてあほらしくて乗る気にならんわ」

とか

わたし「(観覧車の)入場料、大人500円て思ったより安いな。1000円以上取ると思ってた」
夫「一人1000円も取ってたら、誰も乗らんやろ」

などという、下世話な金の話のオンパレードで、大画面で観るにはとても耐えられない仕上がりになっていた。

春分の日、夫の実家で嫁の金の話が響き渡る、それはとてもさわやかな休日であった。






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by mosottto | 2017-03-21 09:55 | エッセイ | Comments(0)

一期一会



独身時代のもうずいぶん前の話だが、友達に食事を誘われた。

友達の職場の元上司で、もう定年して自由に暮らしているおじさんの家にお呼ばれしたのである。


事前に食べたいものを聞かれて、

「肉」とだけ返信しておいた。


そのおじさんの自宅にいくと、ローストビーフがどかんと置かれていた。

おじさんは、
「もう、肉って聞いて困ったよう、なに用意していいかわかんなかったから、とりあえずこれで」
と、困ってるけど嬉しいようなそんな顔をして招き入れてくれた。

おじさんは勝新太郎のような風貌で、今は和やかだが、癖のある人生を送ってきたんやろうなあ、という趣きを感じさせた。

おじさんとわたしの音楽の趣味が大変合い(ジャズとソウルミュージックだ)、意気投合してすぐに仲良くなった。

肉ばかりを食べる姿や、ラファエルサディークのライブDVDに熱狂するわたしに、おじさんは大いに喜んだ。

その後、おじさんとわたしは音楽談義に花を咲かせ、いろいろ話していくうちに、おじさんの私生活の話にもなった。

どうやら奥さんとの間に確執があるようなのだ。離婚してるのか別居してるのか知らないが、とりあえずおじさんは一人で暮らしているのだ。
もういい歳をしたおっさんだけど、背中は意固地になってさみしそうな少年そのものだった。

「素直に謝ってみたらどうですか」とおじさんに言うと、
「そんなことはできないよ」と、意地になった。

ベランダでぷかぷか煙草を吸っているわたしの姿を、おじさんは切なげに見るのである。


しばらく経って、ふとおじさん元気かな?と思い出し、ブルーノートであるライブに行きませんかとメールを送った。

返事が返ってこないなあと思ったら、友達から電話がかかってきた。

おじさんが死んで、今からお通夜やねん、ということだった。


結局二度しか会ってないが、別れというのは常に唐突なものである。


少年のように喜んだり、素直になれず苦しみ、孤独な空気をまとった姿が思い出された。

おじさん、謝れんかったままなんかな、きっと、と思いながら、しとしと降る雨を見つめた。






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by mosottto | 2017-03-15 11:31 | エッセイ | Comments(0)

豊かな食卓


「ぱさっとした胸肉のから揚げが嫌いや」

夫の一言ではっとした。

わたしは胸肉のあの食べごたえのある感触が好きだった。
母の作る大量のから揚げは、間違いなく胸肉だったし、から揚げといえば、胸肉なのだ。

だから胸肉のから揚げを食べるとどこかなつかしくなるし、母を思い出す。

我が家のから揚げが胸肉だったのは、間違いなく経済的理由である。
そのことを知ったのは、大人になってからだ。

我が家で焼肉といえば、豚か鶏で、大人になって初めて焼肉屋に行ったときに、牛肉が出てきて非常に面食らった。
ー牛肉なんて食べたことないー。

カレーの肉もサバの缶詰なんて当たり前で、その甘ったるい味が非常に貧乏くさいと幼いながらにも勘付いていた。

うなぎのかば焼きなんてものも、初めて食べたのは大人になってからで、「あれ?これとよく似たようなやつが家で出てたな、、」と思い出すと、ちくわを平らに開いて甘辛いたれで焼いた、’ちくわのかば焼き風’という母の創作料理であった。

あとは大体、田舎のおばんざい料理が多かったので、洋風なメニューは滅多にお目見えしなかった。

母が珍しくレトルトの’ラザニア’を買ってきたときに、今でも覚えているのだが、「こんなおいしいものがあったのか!」と大変感動して、「おかあさん、またこれ買ってきて!」と言うと、母は冷酷な眼差しで「高いからダメ」と、娘の懇願を一刀両断した。

今でもスーパーでレトルトのラザニアを見かける度に、あのうらめしい思い出が蘇るのだから、幼少期の何気ない母親の一言は絶大である。


そんな母親におばんざいばかり食べさせられていたため、わたしは極端におばんざい系のもの(切り干し大根、高野豆腐、なすの炊いたの、白和え、胡麻和えなど、、)は欲しなくなり、今でも滅多に作らない。

しかし、実家から自家製切り干し大根をもらったので、仕様がなくニンジンやお揚げさんと炊いて食卓に出した。
すると4歳の息子がほぼすべてを食いきってしまった。
普段どこの国の料理かわからんものばっかりを出しているせいか、彼はどうやら’おばんざい’を欲しているようだ。

またある時は、「おなすを焼いたのに、ちょこっと醤油をたらすの、あれうまいよなあ。おかあさん、またおなす買ってきて!」と、抜群の笑顔で言ってきたりする。

またわたしの母親の遺伝子を、息子は受け継いでるのか、と思った瞬間であった。




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by mosottto | 2017-03-15 10:06 | エッセイ | Comments(0)

夫が恋をした




「ああ、体がふわふわして何も手がつかない」

最近の夫の状態である。

やけにぼんやりしていて、遠い目で、とろんとしている。




夫が恋をした、メキシコに。




去年メキシコ人夫妻(旦那さんは演奏家)が我が家を訪問したのが縁で、メキシコという国と繋がりを持つようになった。
メキシコに行き、たくさんのメキシコ人やキューバ人らと親交を深め、自分たちの家族のように夫のことを世話してくれた彼ら。
帰国後は絵に描いたようなメキシコかぶれの夫である。


メキシコ人夫妻が我が家に来た時に驚いたことの一つに、彼らはシャワー後に大量の香水のようなものをばっしゃばしゃと体に振りまき、家中がその匂いで包まれるのである。
よく外国人の傍に行くと、きつい香水の匂いがするが、そんなかんじである。
それが彼らの普通の身だしなみなのだ。


帰国後夫は香水をつける習慣がなかったはずなのに、うれしそうにメキシコで買った香水を体に振りまき始めた。

待ってくれ。
ここは日本だ。
お前はこってこての日本人なのだ。

心の中でそう思って夫をしげしげと見ていると、

「ああ~なつかしい、この香り。思い出すなあ~」と、にやにやと物思いにふけっている。

その香りをかいだわたしの反応は、一言で、
「くっさ!」である。
出産後、匂いに敏感になり、よく売られてる市販のシャンプー、欧米系柔軟剤、もちろんきつい香水の匂いが全部受け付けられなくなった。

「くっさ!」を連発もするも、夫は我関せずで、終いには「そのうち慣れるよ」
ふざけるな、このやろう、である。
あまりにも臭いので、外でつける分には自由だが、車内などの密室ではつけるな、と禁止令を出しておいた。

夫が恋してそんな迷惑なこともあるのだが、恋の効能がいい方に作用したこともある。
感情表現の起伏が激しい夫の性格が穏やかになり、あまり小さなことで怒らなくなったことである。(以前は朝からミクロレベルのことでキレていた)

恋ってすごい。

すごいが、近いうち、恋するメキシコに家族で訪問することになりそうな気配で、頭がぼんやりしてきた。
そしてまったくメキシコに興味のないわたしが、一番メキシコかぶれになりそうな気配を若干感じつつ、もう、日本は春がやってくる。








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by mosottto | 2017-03-10 14:20 | エッセイ | Comments(2)


夫が日帰りで東京へ行く用事ができたので、4歳の息子も同行して父子ふたり旅が実現した。

今まで母子二人旅はけっこうあったのだが、仕事やらなんやらで多忙な父親と息子が二人で遠出するということは、一度もなかったのである。

いってこい、いってこい!と、ふたりを駅まで見送った。

新幹線に乗れるうれしさと、なんのこっちゃわからんがとにかくお出かけできる嬉しさで、意気揚々と息子は旅立っていった。


ふたりを見送ってすぐに、図書館へ車を走らせ、『毎日かあさん』(西原理恵子の漫画)を5冊借りた。
漫画しか借りない、というのは実に清々しい気分になるものだ。

そして家へ帰り、窓を開け放ち、掃除機をかけて、台所の後片付けをして家中がさっぱりとなった。

本日あまりに快晴だったため、二階の狭いベランダに折りたたみ椅子を出し、大量の干された洗濯物に囲まれながら、そこに座って漫画を広げた。

本当はおしゃれなテラスで読書、といきたいところだが、現実とはこんなもんである。

太陽の光りをさんさんと浴びながら、漫画を読みふける。
主婦にとって、これ以上の贅沢はあるだろうか?

最高だ。

声に出さずにそう思いながら、延々狭いベランダで時々洗濯物が顔にあたるのを避けながら、漫画をむさぼりつくように読んだ。

昼前に夫から東京に着いたと電話が鳴る。


昼食に缶詰のタイカレーを食べながら(もちろん狭いベランダで)そしてまた、漫画を読む。


昼過ぎにまた夫から電話が鳴る。
今から浅草に行くということらしい。

そしてまた、漫画を読む。

気づくと16時である。
洗濯物を勢いよく取り込み、気分転換にドライブをしようと’Mo better blues’というスパイクリーのジャズ映画のサントラをガンガンにかけて、車をぶっ飛ばした。
この映画のサントラの曲が、快晴でまだ浅い夕暮れどきにぴったりなのだ。
3年前くらいにジャズフェスの野外でこの曲を演奏してるバンドがいて、その時もそんな快晴の気持ちの良い夕暮れ時で、ベビーカーを押しながら、大変感動して聴いたのを思い出した。
音楽は生活が豊かになるもののひとつである。


帰宅するとすでに日は暮れて、軽い夕食をとった。
卵かけごはんである。

簡単でありながら、贅沢なごはん。
こんな夕食は家族がいたらきっと出さない。
相当みんな腹がすいてない時以外は。

5分くらいで夕食は終了し、こたつに入って寝転んでぼんやりテレビを見ていると夫から電話である。

「今から晩御飯。」
「なに食べるの?」
「広島焼」

東京に行って、広島焼!
愕然としたが、4歳児連れていろいろあちこち回って、丁度目についたのが鉄板焼き屋だったんだろうと、安易に想像できた。

息子に代わってくれて、初めてちゃんと電話越しの息子の声を聞いた。
今までは「ほら、お父さんからだよ」とか「おじいちゃんだよ」と、息子に電話をふる方だったので、自分は電話の息子の声は聞いたことがなかったのである。

「おかあさん」
わたしはあまりの電話の声のかわいさに、白目になった。

「ごはんたべてるよー」
毎日死ぬほど聞いてる息子の声が、離れて聞く電話の声がこんなにかわいいなんて。

「だいすきー」
わたしはこんなのをいつも聞いてる夫に激しく嫉妬した。
あのやろう!

電話を切り終えて、息子の電話の声を肴に、一杯やりたい気持ちだったが、後で駅まで車で迎えにいかねばならないことを思い出して、我に返った。


22時前に元気に帰ってきた息子と、かなりぐったりしてる夫。
体力的にはタフな人だが、4歳児連れの日帰り東京旅行は相当こたえた模様。


夫が撮影した動画を見ながら、息子はお茶、私たちはビールで乾杯した。
今日一日なんにもしてないのに、ビールがうまい。

あまりに慌ただしかったため、おみやげを買いそびれたと夫は謝ってきたが、この一日が’おみやげ’のような一日であった。




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by mosottto | 2017-03-06 13:13 | エッセイ | Comments(6)


ひょんなことからゲイバー(正確にいうと、ニューハーフの飲み屋)に行くことになった。

しかも夫の叔父とである。

たまたま叔父の連れが行けなくなったので、誰か行くか?という話に
なり、「それでは私が」と手を挙げてみた。
こんな機会は滅多にないのだから、乗るしかないだろう。


自分の父親くらいの年齢の夫の叔父と、夜の祇園へ向かった。
叔父には家族共々お世話になってるが、まさかゲイバー初体験を共有するとは(叔父も初めてである)

叔父はおまじない用にと、お店に入る前にショートホープをコンビニで買っていた。
わたしは心の中で「おまじない?」と、首をかしげた。

平日の早い時間だったため、お店の中には客はおらず、わたしと叔父の前に、面接官のようにニューハーフ二人が真正面に座った。

見たところほぼきれいな女性であるが、やはり声は異様に低い。
堂々と二人とも真正面からわたしたちをガン見するので、興味本位で来ただけというのがお見通しのようで、余計に焦る。

隣の叔父をみると、ニューハーフ姉さんにホープに火をつけてもらっていた。
「(お客に)煙草に火をつけたの久しぶりだわ~」とか、
「お店で無理してお酒飲まなくてもいいの。わたし飲めないんでって言えばいいだけだし」とか、
ホステスに有るまじき発言を堂々と発する姉さんに、ぽかんとしてしまう。

勝手なイメージで、こういう店ではミッツやマツコやナジャみたいな人が出てきて、キョーレツな話芸で笑わせてくれると思っていたが、普通のきれいなホステスさんがしっとりとお酒をつくってくれたりするクラブとなんら変わりなく、わたしがここへ来てよかったのだろうか?と、やはり焦るのである。

むしろ、あんたら親子か?という謎の二人がしれっと客として入ってきたのだから、やりにくさったらないのだろう。

店内無音、両者手探り状態の空気に耐えられず、わたしは勢いよく生ビールをあおった。
そして聞かれてもいないのに、キャバクラでから回ってしゃべり倒すおっさんのごとく、べらべらしゃべり続け、姉さん二人にゲラゲラ笑われる始末。

ビールをあおり、もう家に帰りたいと思った瞬間、ママが出勤してきた。

このママこそ、イメージ通りのママであった。
女装はしてるものの、その姿はおっさんであり、喋りは漫談家もしくは噺家。
饒舌なトークは目の前でショーを観てるかのようであった。
たたみかける様な話芸に思わず唸る。

ママのプロフェッショナルぶりに実に感動した。

気づくと私たち以外にも客がちらほら来ていて、しかもグループでなくおっさん一人で来ているではないか。
羽振りよさそうなおっさん、せっかく来ているのにスマホばかりいじってママと目を合わせないおっさん、ますますわたしの興味はママ以外にも広がっていった。

そして機関銃のように客をイジリ倒すママ。


きっとここに来る客はみんなママの話芸と、イジってもらうために来ているのだと思うと納得した。

わたしもママに気持ちいいくらいにイジられ、説教されることとなった。
彼女たちは厳しくも本当のことしか言わないので、上辺だけで喋る会話よりも数倍優しさを感じるのであった。
帰り際、ママに「今度は子供連れてきなさいよお~」と言われる。



義母に子守をしてもらっていたので、早々に切り上げ家に帰ると、4歳の息子が「おかあさん、どこに行ってたの?なにしてたの?」と聞いてきたので、
「社会勉強だよ」と答えておいた。




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by mosottto | 2017-03-05 09:56 | エッセイ | Comments(0)


去年から今年にかけて、人生で初めての体験を二度した。

一つは競馬、一つはゲイバー体験だ。


競馬自体に興味はなかったけれど、競馬場に行ってみたくて、義母と息子を誘っていった。

夫は幼少の時に、父親に散々連れられていた思い出があり、「まったく行く気がしない」とのこと。


京都競馬場、菊花賞の日であった。

競馬場の横に広い広場があり、そこにはたくさんの遊具があるので、びっくりするくらいの親子連れで賑わっていた。

息子も大喜びで駆け回っている。
義母に子守をお願いし、とりあえず馬券場にいってみる。

新聞紙を敷いて、ビールやらワンカップやらを飲みながら、赤ペン持って競馬新聞をにらみ、あーでもないこーでもないと言っているおっさんだかおばさんだかわからないような人たちで、カオスになっていた。

馬券の買い方もイマイチよくわからないので、とりあえず今から始まるレースを見に行き、頭の中だけで「何番が来そう」などと思いながら見守っていた。

ゲートが開いた瞬間、競馬場にいる大人たちが「いけーーーーい!」と、血眼で一斉に叫び始めた。

馬、勝負、金だけしかない異様な空間だ。

レースが終わると、頭を抱えるひと、満面の笑みの人、あきらめたような顔の人、顔には出さない極めて冷静な人、酒飲んでいびきかいて寝ている人たちなど、様々である。

わたしが予想だけしていた馬が一着できたので、その瞬間に馬券場に向かって、菊花賞の馬券を買うことにした。(まんまと競馬に遊ばれている)
気のよさそうなおっさんに声をかけると、何から何まで丁寧に教えてくれて、5分くらいで馬券が買えた。

馬券を握りしめて広場に戻った。
息子はおままごとに夢中である。

「お義母さん、馬券買ってきました!」と、さわやかに義母に伝えると、

「わたしも買ってくるわ!」と、非常にフットワークの軽い義母は馬券場に走っていった。

菊花賞のファンファーレが競馬場に鳴り出すと、どよどよと歓声があがり、ものすごい拍手が場内を包んだ。
競馬ファンの競馬へかける情熱みたいなものを感じ取る。

お金がかかっているので、夢中で馬を応援した。
さっきまで死ぬほど遊びまわっていた息子は、白目向いて夢の中にはいりつつあった。

結果は惨敗であったが、これは馬のことをもっと勉強して予想しないと、競馬自体を楽しめないなあと、帰り道で思うのであった。

こんな見学のような買い方ではだめだ!
何事も本気になって挑まなければ、おもしろくない。
結果はおまけのようなもので、予想する過程が何より競馬する人のエネルギーを高揚させるのである。

あいにく、馬の知識を勉強するまでの競馬への情熱を持ち合わせていなかったので、競馬の面白さを知ることはなかったのだが、こんなに多くの大人たちが熱狂するという場面を見られただけでもいい経験であった。


家に帰って競馬体験談を夫に伝えると、まったく興味がなさそうな声で、「あそこはカオスやで」とだけ返した。



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by mosottto | 2017-02-27 11:07 | エッセイ | Comments(2)



関空まで息子と一緒に迎えにいったのだが、’あの’ラピート(難波~関空を運行する南海の特急電車である)に乗れるだけで、コサックダンスでもなんでもいい、小躍りしたい気分になった。

ホームでラピートが入ってきた瞬間も、
「ほらっラピート!来たよ!」と、息子へ言う’ふり’をしながら、実は自分が大喜びだった。
母親の異様なテンションとは裏腹に、
「あ、ほんまやね」と、息子は冷静に喜んでいた。

正直なぜラピートにそれほどの高揚感を持てるのかは、自分でもよくわかっていない。



さて夫である。
30時間のフライト(乗り継ぎ、待ち時間込)で、死神のような形相であった。

小型スーツケースと、でかいバックパッカーを背負って、髪もぼっさぼさ、太鼓に張る革も抱え、死神のような顔、もうどこの国の人で何をしてる人なのかよくわかない。
ロスでの乗り継ぎで、メキシコから来たというだけで、怪しまれたそうである。
妙に納得した。

着いて早々、息子が何か食べたいと言い出したので、空港内の飲食店街を探すが、どこも満席で人が並んでいる。
なにせ30時間フライトでふっらふら、
「これ以上は待てない!」と、死神のような顔をした夫はすたすたとフードコートのような場所へ行ったのだが、どこも満席、やっとのことで席を確保するも、キレぎみの夫。
疲れているからイラつくのだ。

しかし、夫がキレたらわたしも倍返しでキレるという、ラテン方式をとってる我が家は、感動の再会も束の間、すぐに言い合いだ。
ラリーを数回繰り返し、私たちは551の豚まんを食べて数秒後にはもとに戻っていた。
腹が満たされれば、平和なのだ。

息子は両親の下らないけんかには感知せず、終始平和に豚まんを頬張っていた。

我が家では息子が一番冷静で大人である。
反面教師がでたのかもしれない。


わたしへのメキシコ土産は、アクセサリーと、手のひらサイズのでっかい丸い水晶だった。すごい存在感だ。
織田無道を思い出した。

鉱物好きなので水晶はうれしいが、これをチョイスする辺りが、ふつうの夫ではないな、と思うのであった。







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by mosottto | 2017-02-21 12:17 | エッセイ | Comments(0)


去年仕込んだ味噌が出来上がった。

これで完成したのか正直よくわからないが、今晩の豚汁で成果がわかるだろう。


二年前から、梅酒、梅シロップ、梅干し作りなど、梅仕事をやり始め、とうとう重い腰をあげて味噌つくりに挑戦した。

もともと、梅仕事も味噌つくりも、自然派志向だからやりだしたわけではない。

昔の人は当たり前にしていた、手間暇かけて一年熟成させて作るという工程を、一度体験したかったからだ。
発見や驚き、楽しさもあって、やってよかったと思えた。



しかし、自分という人間が、まさか梅干しや味噌を仕込みだすとは、人生どう転ぶのかわからないものだ。

うちの母親は今思うと、自然派志向の人だった。
どくだみを育てたり、お腹の調子が悪い時は梅肉エキスをなめさせられたり、草餅をつくるから土手でよもぎを摘んできてと言われ、よく兄とよもぎ摘みに行かされた。
おやつも果物や手作りの’芋ようかん’や手作りドーナツ、きなこをご飯にかけた’きなこご飯’などだった。

市販のお菓子をほとんど食べさせてもらえなかったので、友達の家に呼ばれて、キンキンに冷えたお茶の中にポッキーが10本くらい入ってるグラスを出された時は、天と地がひっくり返るほどの衝撃でのけ反ってしまったことを覚えている。

こんな食べ方があるなんて!
ポッキーってなんておいしい食べ物なんだ!

人間は極端に何かをだめと言われたりすればするほど、その反動でだめなものを求めるのだと思う。
思春期になったわたしは、ありったけの小銭を握りしめて、ポテトチップBIGやらピザポテトなどのスナック菓子を買い求め、むさぼりつくように食べるようになった。


高校の茶道の研修で行かされた精進料理も蕎麦以外まったく食べられなかった。
おいしい、おいしいと言って食べてる同級生を白い目で見てる有様だ。
「食べるもの、ないやん。刺身ってこれ、こんにゃくやん!騙されてるやん!動物性のものを摂れないからって、誤魔化して食べてるだけやん!これは不健康な食べ方や!」と、腹のワタが煮えくり返るくらいの怒りを精進料理に対してぶつけていた。


そんな思春期を過ごしていたので、料理もまったく作れない。
作れるといえば、牛乳に混ぜるだけのフルーチェくらいのものだった。(料理とは言えない)

そんなわたしが中学の卒業文集で書いた将来の夢が、「ふつうのお嫁さん」だったような気がする。

料理もなんにも出来ないような女が、どの面下げて、そんな夢を抱くのだ!と、今思えば説教ものだが、現在結婚して子供もいて、ほどほどに料理もするようになって、味噌を仕込むほどまでになったのだから、人生の帳尻合わせが絶妙というしかない。

先日4歳の息子と河原に行ったとき、息子が「おかあさん、これよもぎや!これでなにか作ろう」と言い出し、一心不乱によもぎ摘みを始めた。

息子にわたしの母の遺伝子がしっかり組み込まれてることを確信した瞬間である。

摘んできたよもぎは、天日干しして、よもぎ茶にするつもりだ。




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by mosottto | 2017-02-21 11:08 | エッセイ | Comments(0)