カテゴリ:エッセイ( 49 )

外に出れば何かが起こる



梅雨真っ只中であるが、4歳の息子とほぼ毎日虫取りの日々である。

正確にはわたしが虫を捕まえ、息子が虫かごの虫を観察し眺めているのだが。

先日、黒アゲハを捕ってほしいと息子が言い出したので、虫取り網を一心不乱になって振り回していた。
蜜を吸ってじっとしている蝶を捕獲するのは安易だが、動いてる蝶の捕獲はなかなか難しい。

その日の公園では落ち着きのない蝶ばかりで、無駄に網を振り回すはめになった。

40手前になって如実に感じるのだが、頭でイメージしてる自分の動きと、実際の動きが明らかに違う。
イメージではぱっとすばやく動いているのに、実際の動きがスローモーションなのかと思うくらい遅いのだ。
この差に一瞬脳みそが揺れる。
完全に体がついていけていない。

しかも後ろで観てるだけの息子に、
「もう!おかあさん!ぱっと捕ってよ!」と、イラつかれる。

おかしい、おかしいと思いながら、変な汗をかいていたら、突然目の前に小学生の男の子が現れた。

とてもきらきらとしたきれいな眼差しで、彼はこう言うのだ。



「あのね、一匹だけ、捕ってあげようか?」


その言い方が、まるでおじいさんが自分の孫に諭してるかのような、とてもやさしい言い方なのだ。

わたしは一瞬ひるんだが、

「あ、ああ、お願い、願いします!」と、低姿勢で頼んだ。


彼はあっさりと一匹捕まえてくれた。

そして、じゃあ、一匹捕ったしね、という顔を残して、さわやかに去っていった。

その立ち居振る舞いにとても品があり、こんな王子様のような小学生がいんのか!と、しばらく呆然とした。



と、一息つく間もなく、突如公園にリードも首輪もしていない大型犬が乱入してきたのだ。

大暴走する大型犬(たぶんレトリバーだろう)に、喜んでいるのか、怖がっているのか、よくわからないテンションで逃げ回っている小学生たち。
公園がまるで生放送のドリフのコントのように、目まぐるしく犬と子供たちが端から端を行ったり来たりしていた。

わたしたち親子は呆然とそのはちゃめちゃな光景を眺めた。



もうわけがわからない。


犬は尻尾を振ってるので、遊んでほしいモードのようだが、息子は犬が苦手なので、すぐに帰ろう!と言い出し、結局どこの犬なのかもわからず公園を後にすることになった。


平凡な日常でも、日々なんだかよくわからないことの連続だ。








[PR]
by mosottto | 2017-06-22 14:06 | エッセイ | Comments(0)

人生吹き流し


五月、我が家にも高らかと鯉のぼりが泳いでいる。

息子に「お父さん鯉のぼりはどれ?」と問いかけると、吹き流しを指さした。

父親のことを吹き流しという息子。
一般の家庭であったらたぶんあり得ない話だろうが、我が家に至って言えば、なんとなく「吹き流しっぽい父親像」満載のため、否定しきれないところだ。

その場で爆笑した一同だったが、あいにく父親不在であった。
この事実を夫に伝えるかどうか些か迷ったが、わたしのお喋り虫がうずいて、気軽にぽんと伝えてみた。

一気に機嫌が悪くなるだろうかと観察していたら、夫は神妙な面持ちで目を閉じて考え込んでから、こう言った。

「そうか。そんな風に思っているのか。てんつく(息子)はおれに何か感じてるものがあるんだな」と、何やらわけのわからない哲学的思想に想いを馳せているようだった。

頭がくらっとなりながら、「しかし、吹き流しの存在ってなんなんだろうね?きっと何かありそう」と言うと、夫はまたロマンのあるような顔をしながら、「ちょっと調べてみてくれ」と言った。

早速ネットで調べてみると、いくつかの説があり、魔除けであったり、そもそも吹き流しが先で、鯉のぼりは後からの風習になったとも言われている。

その旨を伝えると、夫は薄ら笑いを浮かべながら、
「オリジナルということやな」と、自分の存在をとてもいい具合に表現し出したので、さっさと放っておくことにした。


無風の時は、ぐったりしてる鯉のぼりだが、強風になると、見事に音をたてて泳ぎ出す。
その姿を外からぼんやりと眺めていると、

「なんか、こんな立派な鯉のぼりが泳いでたら、堅気の人の家みたいやな」と夫がつぶやいた。

「え、うちは堅気じゃなかったの」と、思わず返してしまった、新緑香る夕暮れであった。




[PR]
by mosottto | 2017-06-01 14:01 | エッセイ | Comments(2)

なにかを許してみたら




5年近く、許してこなかったことがある。

結婚1年もせずに、夫が結婚指輪を失くしてしまい、そのことを謝るどころか「仕様がない」と開き直ってしまったことが、ことの発端である。

わたしはモーレツに激怒し、その日から自分の結婚指輪も外した。

抗議である。

5年近く抗議活動は続いた。結婚指輪をはめないという地味な行動だ。

夫が新しい指輪を買ってくるまで許すつもりはなかったのだ。



しかしである。

ふと先日、突然、結婚指輪をはめてみようと思い立った。

はめてみると、びっくりした。

5年も一緒に生活してるのに、これから結婚生活が始まるかのような気分になったからだ。

物理的なことが、こんな作用をもたらすとは。

その瞬間に、わたしはずっと許せなったことを許した。


夫を許したということよりも、そんな夫を許せなかった自分を許したのだ。









[PR]
by mosottto | 2017-05-31 14:29 | エッセイ | Comments(0)


4歳の息子に虫取りブーム到来である。

狂ったようにダンゴムシを捕まえ(わたしが探し、彼は捕まえる専門だ)、目をらんらんと輝かせている。

そんなに虫を捕まえたいのか。
ならば。

一緒に虫籠と虫取り網を買いに行った。虫取り網にいたってはラスト一個であった。駆け込みセーフだ。結構長い網を持って店内をうろついていると、息子と同じ年くらいの男の子が、遠くからガン見している。

虫取り網を堂々と持っている大人が珍しいのか、それ、ぼくもほしい、なのか真相はわからないが、虫取り網を持っているだけでとても熱い視線を感じたことは事実だ。
これくらいの年頃には異様に関心がいくアイテムなのだろう。

早速近所の公園にでかけ、息子は虫取りに夢中になった。
蝶々を追いかけるもなかなか捕獲できないが、ぶんぶん網を振り回してるだけで、テンションがやたら上がっている。
もはや、虫取りしなくてもいいのでは、とも思うくらい。

しばらくすると、近所に住んでる小学生の男の子が二人公園に現れ、ブランコを勢いよく立ちこぎで乗り出した。

「虫探してんねんけど、おらんねん。どっかいいとこあるか?」と、その子らに聞くと、
すごい勢いで、しかも二人同時に虫がよく捕れる公園情報を教えてくれた。
二人同時に喋るので、大変聞き取りずらいのだが、一生懸命に聞いた。

その時だ。
ひとりの男の子が、立ちこぎからバランスを崩し、そのまま地面に落ち、後頭部を強打して倒れ込んだ。
すぐに駆け寄ると、目が回って、脳震盪を起こしていた。
たまたまその男の子の家を知っていたので、家の人を呼ぼうと思い、もう一人の男の子に叫んだ。

「おばちゃんな、家の人呼んでくるから、ここにおってな」
大変な状況であるにも関わらず、頭の中で「あ、今わたし自分のことおばちゃんて言った!」と一瞬冷静になる自分がいて少し引いた。

御家族が迎えにきて、結局大事には至らず良かったのだが、その子のおばあちゃんが「ありがとうございます。なあ、よかったな、おばちゃんが助けてくれたなあ」と、言っていたのを聞き逃さなかった。

おばちゃん。

37歳は確かにおばちゃん中のおばちゃんだが、それを受け入れるのに若干時間がかかりそうだ。

そんな母の想いは他所に、息子は初めて虫を自分で捕まえた。

蛾、である。




[PR]
by mosottto | 2017-05-12 09:45 | エッセイ | Comments(2)

連休は家族ソロ活動


GWに行く予定だった愛宕山登山が延期なり、我が家はそれぞれ連休をソロ活動で過ごした。

息子は親戚のおじさんと大文字山を登り、おばあちゃん家(夫の実家)へ初お泊り。

夫は今月のツアーに向けての練習やリハ、レコーディングなど、大変だけど充実した日を送っていた(本人談)

わたしはと言えば、人生で一番やらないだろうという園芸に手をつけていた。
育児もままならないわたしが、植物を育てることというのは大変高いハードルだったのだが(前年、プチトマトを育てたが一個も実が付かずという経緯あり)、家でひとりほっげーと口をぽかんと開けていると、無性に「花を育てたいっ!」という思いがふつふつ沸き上がってきた。

息子も夫もいない、静かな今のうちに!

車をホームセンターまでぶっ飛ばし、園芸コーナーをしげしげと観察した。
比較的育てやすそうな、ゼラニウムとラベンダーを選んだ。
土肥など一通り購入し、家に帰って鉢に植える。

ーーー土を触り、緑に触れるって、なんだか満たされるーーー(細い目)

ひとりにやにやしていると、お向かいのおばちゃんが「こんにちは」と声をかけてきた。
このおばちゃんは園芸好きで、家の前にあふれんばかりの花を育てている。

「まあちょっと見てやってください」と、おばちゃんに超初心者園芸模様を見せた。

去年の咲きはイマイチだったが、今年の春にたくさん花をつけた白いゼラニウムを見て、「上手やなあ」と園芸のプロフェッショナルに褒められたのである。

「土の鉢は重くて使ってないから、好きなだけ使って」と、鉢も大量にもらった。

これで完全に火がついてしまった。
狂ったように花屋や園芸コーナーを物色しに走る。

そして毎朝、外に出て、植えた花を見て、うっとりするのだ。


夫に「お、園芸に目覚めたんか」と、指摘される。
「そうやねん」と、静かに返す。

おばちゃんたちの社交でもある園芸(よくおばちゃんたちは家の門で「いや、奥さん、この花なにい?」と園芸トークをよくしている)にとうとう手を付けてしまった。

あるママ友は畑を借りて無農薬で野菜を栽培してる。
わたしにはそんなこと無理だと思っていたが、一歩一歩近づいてきているかんじがする。
まずは去年一つも実らなかったプチトマトのリベンジからである。


そういうわけで、家族ソロ活動し、のびのびとした休日を過ごせて大変よかった。



[PR]
by mosottto | 2017-05-11 10:18 | エッセイ | Comments(0)


昨日の夜、近所のドラッグストアで買い物をしてると、二軒隣に住んでいる夫婦と、ばったり遭遇した。
この夫婦とはいつも遠くから会釈するだけという、ごく浅い近所付き合いで、見かけたことも数回しかない。
「あ、こんばんは」と軽い挨拶をして去ろうとしたら、奥さんの方がわたしを引き留めた。

「あの!○○〇〇〇ちゃん??」と、わたしの旧姓のフルネームで呼ぶのだ。
旧姓で呼ばれることはここ数年なかったので、え!と、驚くと、その奥さんは、
「わたし、〇〇〇〇〇なんやけど、小学校が一緒やったの、覚えてる?」と、不安そうにのぞき込んだ。

あ!
そう言えば。
わたしは遠い記憶を呼び起こして、なんとなくだが、そういう名前の同級生、幼少期の面影をぼんやり思い出した。
でも、彼女とは特別親しかった記憶はない。
「もそっとちゃんの家にも、遊びに行ったことがあって、今でも家の風景とか覚えてる」と言う。
その子と自分の家で遊んだことなんて、記憶になかった自分に驚いた。
しかも、わたしは小学校のほとんどをストライキして行ってなかったのだ。
なのに。
その子はわたしのことを覚えていた。
いつも近所で遠目で挨拶することしかなかったのに、「ひょっとして」と思っていたという。

7、8歳の時の自分と、40代目前の自分がまったく重ならないと思っていたのに、人から見ると、面影をちゃんと残していたのだ。

一瞬、その時、時間軸がぐらぐらと揺れたように感じた。
ほとんど抹消したような過去の時間に、引き戻されたような感覚なのだ。

喋りたいことはなんだか山ほどありそうなのだが、ドラッグストアで立ち話できるような世間話でもなく、なんだか宙ぶらりんのまま、挨拶をして別れた。

帰り道、不思議そうに顔をのぞく息子に「お隣さんのお姉ちゃんね、おかあさんの小学校の同級生だったよ、すごいね。なんかおかあさん、小学校のころに戻ったような気分だ。不思議だね」
そう言って手を繋いで歩いて帰った。

三日月だった。

帰って夫にそのことを報告すると、「おれと同じやな」と言った。
夫も前に、幼稚園の時のクラスメイトに会い、夫は覚えてなかったが、向こうははっきり覚えていたという。
どちらも偶然音楽の道に進み、三十年越しの再会で、今年の年初め、ラテンバンドのライブでセッションしていた。

「そんで、再会を記念して、セッションするんか?」と、夫が当たり前のように聞いてきた。
ふつうは、お茶しに行こうとか、ランチしようとか、飲みに行こうである。
バンドマンでもないのに、センッションできるはずないやろ、と思ったが、こういう時、音楽をやっていたら、と無性にうらやましくなった。


しかしだ、もう三十年も前の自分を置いてきぼりにしてきて、突然、時間を超えて、7歳の自分と出会った気分になった一瞬だった。
出会いと言うのはすごいものです。


[PR]
by mosottto | 2017-05-01 15:21 | エッセイ | Comments(2)

人生のまさか。


自分の人生でこんなことはしないだろうと、思うことが、生きていると度々起こる。

ひとつは、ふて寝である。
ドラえもんののび太のように、布団をかぶってふてくさせるというあれだ。

あんなこと、するの?と思っていたが、30過ぎて、夫とケンカしたり、イラついた日は、9割方、わたしはふて寝をする。

絵に描いたように、「もう、寝る!」と家族に言い放ち、家事と育児を放棄して、布団をかぶって寝るのだ。
だいたい5秒ほどで寝れる。

次の日は何もなかったように、すっきりとした朝を迎えられるからとてもいい。


ふたつ目は、道端での立ち話だ。
幼少期、母と歩いてると必ず知り合いのお母さんに会い、母同士で長い立ち話をする。
待たされた子供は退屈極まりない。
なんでそんな喋ることある?と思っていた。中身があるようなないような会話ではないか。

大人になってからも、道端で話し込む主婦を見たら、あの姿はおばちゃん感丸出しやなあと、うっすら軽蔑さえしていた。


しかしだ、昨日息子と不燃物のゴミ出しの帰り道、知り合いのママさんに会い、PTAの役員の引継ぎがどうだの、あれはどうなった?だの、軽い立ち話をして、子供に「早く帰ろうよー」と言われた。

はっとした。

まさか自分が!

一瞬くらっとしたが、生きていたら、こういうことも起こるだろうと開き直った。


生きていると、そんなことの連続だ。


そのほかに自分の人生でそれだけはしないだろうと思うことは、南の島でバカンス。プライベートビーチでトロピカルジュースを飲みながら、ゆっくり読書、である。




[PR]
by mosottto | 2017-04-26 10:03 | エッセイ | Comments(0)

誰かを笑わせたいのです



笑いは緊張と緩和だと言う。

だからか、しんと張り詰めた雰囲気の場で、突然おもしろいことを思いついたりする。

(蛭子能収が葬式の時ほど笑ってしまうのと同じ原理だろうか。)


子供の懇談会でも、真面目にいろんな家庭の話を聞いていると、「なんか笑わせたい」という衝動にかられ、うちの子の少し笑えるネタを投入してみる。

ウケるとうれしいし、ややウケだと、もっと頑張らねば!と思う。
帰りにママさんに、「爆笑でした!」と感想を言ってもらえた日には、心の中でガッツポーズだ。
そして、わたしは何しに懇談会行っているんだろうかと、後になって急に疑問に思ったりするのだが。

ママ会でも、我が家の一ネタを披露し、みんなが腹を抱えて涙を流すくらい笑ってくれた日には、「今日はいい仕事ができた!」と、意味不明な達成感に包まれる。


一番ひどいのは、少し前の保護者会の総会で、役員同士での真面目な、もっと言うと深刻な話し合いをしてる最中、場がとても緊張感に包まれたので、「いや~園長先生、ああ見えて職員室の自分の机で万札数えてたらおもろいですね」と、言いそうになったことだ。

そんなことしそうにない園長が、というブラックジョークだが、どう考えても今そんなことを言ったら、全員引きつってしまう(一人くらいは苦笑いするかもしれない)と、瞬時にブレーキがかかった。
言わなかったものの、そういう場ではいつも頭の中で、くだらないことが行ったり来たりしてる自分に時々うんざりもする。


でもおもろいことを考えるのが好きなのだ。





[PR]
by mosottto | 2017-04-25 14:43 | エッセイ | Comments(0)

中年にさしかかる子供


土日はお父さんが子供を連れて公園に行ったり、もしくは家族全員で出かけたり、などという家庭が多いと思う。


我が家の場合はほとんど母子家庭に近い状態である。
夫はだいたい土日は休みだが、やっと自分時間!と言わんばかりに音楽の練習したり、パソコンの前で難しい顔をしたり、たまにガラムを吸って息抜きし、演奏をしにいったり、スタジオへ消えていく。

まだ子供が1,2歳くらいならまだしも、息子は今年5歳である。
お父さんを必要としてる時期ではないのか。
母親ばかりと一緒では甘えてばかりだ。
自分のやりたいことばかりに時間を使い、お前も子供じゃないのか!と、内心、はらわたが煮えくり返る思いであった。


先日の休みに、「たまには一緒に公園へいってこい」と、二人を半ば強制的に追い出した。
息子は「わーい!」とうれしそうである。
夫は浮かない顔。
なぜなら、公園へ行っても、遊びに没頭する息子なので、ずっとそれを見守ってる状態が退屈なのだという。(親としては当たり前のことなのだが)

案の定、30分もせず帰ってきた。
夫は思春期の中学生のような顔をして、
「ぜんぜん、遊んでくれないっ!」と、本気でキレていた。

もはやどちらが子供なのか、わからない。

息子も若干しゅんとしていたので、「一緒に買い物いこう」と誘うと、ぱあっと明るい顔になった。
近所のドラッグストアに行き、「好きなおやつ、選んでいいで」と言うと、ぜったい食べたくない不気味な色のグミを選んだ。

それと一緒にカプリコのイチゴ味を夫のおやつに買った。

家に帰り、わたしは美容院の予約があったので、夫にカプリコを渡し、出かけた。


次の日の朝、夫にあげたカプリコを息子がおいしそうに頬張っていた。
息子にあげたんだと思って、何も思わなかったのだが、朝帰りで昼過ぎに起きてきた夫に、「あのカプリコ、てんつく(息子)が食べてたで」と言うと、信じられないくらい悲しそうな顔をする夫だった。

子供が一緒に遊んでくれないと嘆く夫。
子供にカプリコを食べられて悲しむ夫。

どれも今年40歳になる大のおっさんの話だ。


[PR]
by mosottto | 2017-04-24 15:20 | エッセイ | Comments(0)

お弁当論争



いつも夫のお弁当を作っているのだが、ほぼ毎日、帰ってきたらお弁当箱を流しに出さず、袋に入れっぱなしである。

次の日の朝、仕様がなく袋から出し、お弁当箱を洗う。

そして新しいお弁当を袋に詰める。


今日もまた、帰ってきても、お弁当箱が出ていない。


わたしは考えた。

お弁当袋に図入りで「お弁当箱は、だす」という、貼り紙をした。

「お弁当箱は出してね」と書くとなんだか白々しいし、
「お弁当箱は出しといて!」だと、あからさまに攻撃的すぎる表現。
なので、「お弁当箱は、だす」という極めて無機質なトーンの表現にした。
一週間に一度くらいの頻度でお弁当を出すようになったが、それでもほとんど出されていない。

ううんと、わたしは首をひねる。

さらにデカい貼り紙をしよう。

前の二倍のデカさの紙に黒マジックで「お弁当箱は出す」というメッセージと、目つきの悪いネコが弁当を出してる絵を描き、お弁当袋にデカデカと貼って持たせた。

夫が帰ってきて、「仕事場の人がこの貼り紙見て、そうとう弁当箱出してないんㇲねって爆笑されたわ」と言いながら、お弁当箱をすんなり出している。


第三者を巻き込む力は絶大である。


この効力がいつまで続くのか。

しかし、夫にいかにスムーズにしてほしいことを誘導していくかというのは、育児と似ている。
忍耐と地味な労力。




[PR]
by mosottto | 2017-04-23 10:22 | エッセイ | Comments(0)