ラテンアメリカ文学の作家、ガルシア・マルケスの’百年の孤独’を読んだ。
1ページが二段になっており、恐るべき改行の無さなので、牛歩のごとく読み進めるはめになった。

南米のある町を開拓するブエンディア一族の百年の歴史を描いた、壮大過ぎる物語である。


しかも、
この小説の登場人物であるブエンディア一族は、息子が生まれる度に同じ名前をつけるので、アルカディオかアウレリャノにホセが付いたり付かなかったりで、お前は何代目のアルカディオ?と混乱することの連続なのだ。
最初は頭をフル回転させて、ええっとこれは二代目の、、と前後させながら読みすすめていたが、後半は脳みそが溶け出してきて、「もうどのアルカディオでもええわ!」という、あきらめの境地に至った。

おまけに子町娘のレメディオスという美少女が突然、天使のように舞い上がり、天に消えていった、などの躊躇ないファンタジーになっても、特別何かの意味があるわけでもなく、完全
にはちゃめちゃなブエンディア一族と作者の世界観に振り回されっぱなし状態で、もはや脳がふにゃふにゃになりかけていた。

このひたすら長い長編小説を一夜で読めるはずもなく、3、4日に分けて読み進めたのだが、脳みそがふるふる状態のまま、現実の用事を済まさないといけないことは、大変困難であった。

今年は自治会の組長が回ってきたので、役員会の会議などに参加してると、南米の乱痴気騒ぎブエンディア一族にやられた脳で、ぼんやりしてしまい、現実へのチューニングで必死だ。

必死のパッチで読み終えた頃は、現実と非現実の二重生活を送ったかのようでへとへとであった。

なぜ、時間が有り余っている十代、二十代の時に読まなかったんだろうか!と、かなり後悔しつつも、そのくらいの年代ではきっと最後まで読もうと思わなかったに違いないと確信を得ている。

わたしなんかより余程ラテンアメリカとは縁のある夫が、まだ読んだことはないので、感想を聞いてきたのだが、最後まで読み終えた
という事実だけで、特に感想がなかったことに、自分でも驚いた。

とりあえず「輪廻転生だよ」とだけ言っておいた。


次に読むときは、子供が成長し、時間に余裕があるときにしたい。




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by mosottto | 2017-07-26 13:34 | 読書の時間 | Comments(0)

中村文則『火』を読む。


西加奈子、又吉直樹のファンなので、二人が大絶賛する中村文則のことは前から気になっていました。


『教団X』も、何度も書店で手に取ってみたものの、あまりの分厚さにくらっとして、静かに元に戻しました。

三歳男児を毎日追いかけまわして、毎日電池が切れた状態で寝落ちする今の自分に、これを読める気がしない。。



比較的読みやすそうな『あなたが消えた夜に』の文庫本を一度読んだことがあるのですが、あまりの暗さに、「あちゃ~~~」と額に手をあてて、声を出してしまいました。

救いようがない暗さというか、明るさを拒否してる全体的ムード。


たぶん、思春期というか、欝々と自分のことだけ悩んでられる状況の時なら、すごくその暗さが心地いいと感じると思うのです。


毎日21時就寝、6時起きで、朝日を浴びて、子供と一緒に明るい太陽を追いかけてるなんて日常の中で、この暗さは対極過ぎて、まったく響かないのです。むしろ、「元気だせよ、中村っ」と、肩をばしっと叩きたくなる想いです。


そんな中で、『火』

たまたまテレビで見た、桃井かおり監督主演の映画が気になるなあと思っていたら、原作、中村文則ではありませんか。

もうすぐ公開。観たい!

そう思ってたまたま開いた雑誌に、桃井×中村インタビュー記事が。

これは原作を読まずして観れないと、『火』が収録されてる『銃』を購入しました。

主人公が手記のように淡々と語るという、実験的な内容で、またその暗さにため息がでる。

でも、ふと感じたのは、その主人公が体験したことや主人公の病気的な思考が自分の中にある、ないに関わらず、「こういう物語を生きてる人もいるのだ」ということが、自分の心の中の小さな箱に少し触れるような気がしました。

というのは、この世界が明るく前向きできらきらとしたことだけで成立してはいないという事実を受け止めることは、とても重要な気がするのです。

朝と昼があるように、真っ暗闇の夜もあるというように。

真っ暗闇をどこか否定していなかっただろうか?と。

ああ、思春期の自分はもっと暗かったなあ、とか。
一日誰とも口を聞かない日なんてざらだったよなあ、とか。
嫌なことはしたくない、刺々しいほどの未熟な自分。

大人になり(大人になれてるかどうかは怪しいが)、結婚をし、出産をし、育児をし、人間関係を円滑にさせるために身に着けた術で、どこか、こういう真っ暗闇を追いやっていたのかもしれないのです。

人間には誰でも(めちゃくちゃ明るい風に見える人でも)真っ暗闇は存在していて、大抵は隠したくなる部分でもあるのだけど、それを否定したり、存在を無視することは、自分自身に嘘をつき続けるのと同じことかもしれないです。


自分の中の闇にただ酔いしれたり浸るのでなく、こういう部分もあるわな、と、認めるのは潔い行為だと思いました。

(まとめると、子供といると、毎日が太陽の中にいて、闇に浸る時間がないわね、という個人的な話でした)



というわけで、桃井監督の『火Hee』、この世界観をどう映像化しているのか、公開が楽しみです!




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by mosottto | 2016-09-04 16:52 | 読書の時間 | Comments(0)