春、母になる。


もう春である。

5年前の春、わたしは夫と結婚し、夫の実家で同居することになった。
誰も知り合いがいない町に引っ越して、家の周りは田んぼや山やら、自然だけは充実していたのである。

街中から引っ越してきたので、しばらく途方にくれた。
カフェも店もなにも、ない。
友達もいないし、家では気を遣うし、とても毎日が緊張と不安の連続であった。


そしてある時、姑のあるひと言に大変傷つき、わたしは突如脱走した。

裏の山に逃げ込み、それはそれは悲劇のヒロインばりに大泣きしたのである。
わんわん泣いていると、そこは犬の散歩道にもなっているので、大きなレトリバーと中年のおっさんが通りかかり、

「どうしたんですか?」と、おっさんは軽く引きながら声をかけてきた。

まっ昼間に山の草陰で、三十路過ぎの女が泣いてるのである。
なかなかない光景に、やはりおっさんは引いていた。

わたしはおっさんにつらい状況を言いかけたが、口から出てきた言葉は、
「なんでもないです」
だった。

なんでもないわけ、ねーじゃん。という顔を残しておっさんとレトリバーは去っていった。

わたしは悲劇のヒロインごっこをやめ、山から降りて、住宅地をとぼとぼと歩き始めた。
帰る家は、夫の実家だけである。
でも今帰ったら姑もいるし、バツが悪い。
帰りたくない、そう思いながら、携帯で実家の母に電話をした。

すべての話を母は黙って聞いてくれ、最後にこう言った。

「あんた、もうすぐ母になるんだから、強く生きなさい」

正義感と責任感の塊のような母らしい一言であった。

わたしは腹を決めて、家に戻った。
心配していた姑に、自分の気持ちを伝えたら、姑は泣きながら「ごめんな、ごめんな」と謝ってくれた。

それから三年間、わたしたちは時にケンカしたり、笑ったり、喜んだり、泣いたりしながら、家族としての時間を過ごした。

5年経った今では、第二の実家のように、いつもくつろがせてもらっている。


しかし、あの茶番劇のようなわたしの振る舞いは、今思い返すと恥ずかしさを超えて、お笑いである。
子供だったのだ。


姑の一言で山に逃げ込むなんてこと、今はもうしないだろうなあと思うと、すこしさみしい。

母になり、オブラートのように薄かった心が、ドラム缶のように大変頑丈になってしまったからだ。









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# by mosottto | 2017-03-23 11:48 | エッセイ | Comments(0)

ずっこけ春の梅田祭


久しぶりに家族三人で梅田へ出かける。

知り合いの個展を観に行く為だ。

休日だったので電車は満員だし、梅田は人は多いわで、画廊に着いた途端、息子は速攻下呂を吐いて笑っていた。
談笑も束の間、すぐに画廊を後にし、梅田の雑踏に出た。

雑踏は小さな子供にとってとてもストレスのたまる場所なので、すぐに公園を探してしまうのは、母親にとって条件反射である。

男の子は特に、ただ何もないところを走ってるだけで楽しいのだ。
走れない都会はとても窮屈だ。


HEPの観覧車を見つけ、あそこに避難しようと決めた。
休日なので、15分待った。

わたしたちの後ろに、まだほやほやの若いカップルがいて、女の方がやたら男にじゃれている。
男にからかわれているのが、女はとても嬉しくてたまらない様子。
わざと口をとがらせて怒ったりするかんじが、とても見ていられない。
そうか、自分も若い時は、周りにこんな風に見られていたのかと思うと、非常に情けなくなった。

しかし、だ。
女の異常なじゃれっぷりが鼻につくので、どんな面してそんなじゃれているのだ、と、思い切り真正面の女の顔を見ると、おてもやんそっくりだった。

まあ、ふたりが幸せならそれでいいじゃないか、という結論に至ったわけである。


結婚五年目のわたしたちは静かに観覧車に乗り、静かに楽しんだ。
丁度夕暮れ時だったので、景色が三丁目の夕日のような光景で、家族三人でそれを眺められる幸福をかみしめた。

その後、夕食を食べて、夫は伴奏の仕事だったので新大阪へ向かい、わたしと息子は家路に向かった。

阪急の一番最後の車両に乗り込み、息子はかぶりつきで車掌さんの仕事っぷりを眺めていた。
アナウンスをして、ドアを閉め、最後にベルを「チンチン」と二度押すのだが、息子はこの「チンチン」と鳴る音に大ウケして、車内わりと静かだったのだが、「おかあさん、チンチンだって!!」と、息子の下品な笑いが響き渡っていた。


次の日、夫の実家に行ったときに、観覧車内の動画を夫が撮影していたので、みんなで鑑賞することになった。
テレビ画面に映し出される観覧車から見る夕日はきれいで、息子のはしゃぐ姿などを、おばあちゃんは喜んで観ていた。

しかし後半の映像で、

わたし「そりゃあ、お金持ってる人は何でも空で移動すんのわかるわ。こんな上からの景色観てたら、電車なんてあほらしくて乗る気にならんわ」

とか

わたし「(観覧車の)入場料、大人500円て思ったより安いな。1000円以上取ると思ってた」
夫「一人1000円も取ってたら、誰も乗らんやろ」

などという、下世話な金の話のオンパレードで、大画面で観るにはとても耐えられない仕上がりになっていた。

春分の日、夫の実家で嫁の金の話が響き渡る、それはとてもさわやかな休日であった。






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# by mosottto | 2017-03-21 09:55 | エッセイ | Comments(0)

久しぶりの映画ネタ


2016年度のアカデミー賞授賞式の様子をテレビで観ていた時のことである。

夫と映画などを一緒に観ていると、ずっと彼は横で話しかけてくる。
大体物語の行方はどうなるのか?などの、観てればわかるやないか、という問いかけだ。
「集中して観てんねん!黙ってくれ」と、一喝すると、「真剣やな」と、40手前のおっさんが口をすぼめるのである。

このアカデミー賞の時も、黙ってじいっと観ていると、いつものようにいろいろ話しかけてくるので、一切問いかけには答えず無視した。

すると、「すごい観てるな。ほんまに好きなんやな。うーん、でもその熱い思いは、おれはいいと思う」などと、勝手にわたしの映画好きを自分の中で認めていた。

ある黒人女優のスピーチが始まり、その彼女の思いが胸に響き、だーだーとわたしは涙を流していると、夫はその女優を観て呆れたような声で、
「なんやこれ、教会の説法みたいやな」と、ほざいた。
本気で殴ろうかと思ったが、こんなことくらいでエネルギーを消費するのは大変無駄だと思い、拳をおさめた。


さてアカデミー賞はさておいて、映画である。
古い映画を立て続けに観た。

’恐怖のメロディ’と、’招かれざる客’である。

恐怖のメロディはクリント・イーストウッド監督主演の映画で、まだストーカーという言葉がない時代のサイコスリラーらしい。
だがわたしにはどうもB級映画臭くて、クリント・イーストウッド一体どうしちゃったの?というかんじだった。
このクリント・イーストウッドの演技に夫は大変ウケていた。


’招かれざる客’は、黒人と白人の恋愛がタブーの時代に描かれた映画で、一日の出来事をテンポよく見せる構成だった。大きな動きもないし、絵的にも変化がないのだが、俳優たちの緊迫した演技でぐいぐい引き込まれていくのが圧巻であった。
シドニー・ポワチエもキャサリン・ヘプバーンも観ていて惚れ惚れした。


義父が息子にと持ってきたディズニーアニメ’ズートピア’は、息子はもう5回くらい憑りつかれたように観ている。
絵はかわいいが、内容はトランプ政権に向けられてんのか?と思わせるメッセージ性もりもりで結構シビアだ。

こんな内容子供が観てもおもろいのか?と思ったが、さすがディズニー、ハラハラドキドキシーンと、ユーモアシーン、そして最後はVIVA!みんなハッピーに踊りまくって終わりっ!という流れで大変子供は満足してるようである。
一緒に観ていた夫の横顔を見ると、苦虫かみつぶしたような顔をしていた。





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# by mosottto | 2017-03-17 14:45 | 映画のこと | Comments(0)

一期一会



独身時代のもうずいぶん前の話だが、友達に食事を誘われた。

友達の職場の元上司で、もう定年して自由に暮らしているおじさんの家にお呼ばれしたのである。


事前に食べたいものを聞かれて、

「肉」とだけ返信しておいた。


そのおじさんの自宅にいくと、ローストビーフがどかんと置かれていた。

おじさんは、
「もう、肉って聞いて困ったよう、なに用意していいかわかんなかったから、とりあえずこれで」
と、困ってるけど嬉しいようなそんな顔をして招き入れてくれた。

おじさんは勝新太郎のような風貌で、今は和やかだが、癖のある人生を送ってきたんやろうなあ、という趣きを感じさせた。

おじさんとわたしの音楽の趣味が大変合い(ジャズとソウルミュージックだ)、意気投合してすぐに仲良くなった。

肉ばかりを食べる姿や、ラファエルサディークのライブDVDに熱狂するわたしに、おじさんは大いに喜んだ。

その後、おじさんとわたしは音楽談義に花を咲かせ、いろいろ話していくうちに、おじさんの私生活の話にもなった。

どうやら奥さんとの間に確執があるようなのだ。離婚してるのか別居してるのか知らないが、とりあえずおじさんは一人で暮らしているのだ。
もういい歳をしたおっさんだけど、背中は意固地になってさみしそうな少年そのものだった。

「素直に謝ってみたらどうですか」とおじさんに言うと、
「そんなことはできないよ」と、意地になった。

ベランダでぷかぷか煙草を吸っているわたしの姿を、おじさんは切なげに見るのである。


しばらく経って、ふとおじさん元気かな?と思い出し、ブルーノートであるライブに行きませんかとメールを送った。

返事が返ってこないなあと思ったら、友達から電話がかかってきた。

おじさんが死んで、今からお通夜やねん、ということだった。


結局二度しか会ってないが、別れというのは常に唐突なものである。


少年のように喜んだり、素直になれず苦しみ、孤独な空気をまとった姿が思い出された。

おじさん、謝れんかったままなんかな、きっと、と思いながら、しとしと降る雨を見つめた。






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# by mosottto | 2017-03-15 11:31 | エッセイ | Comments(0)

豊かな食卓


「ぱさっとした胸肉のから揚げが嫌いや」

夫の一言ではっとした。

わたしは胸肉のあの食べごたえのある感触が好きだった。
母の作る大量のから揚げは、間違いなく胸肉だったし、から揚げといえば、胸肉なのだ。

だから胸肉のから揚げを食べるとどこかなつかしくなるし、母を思い出す。

我が家のから揚げが胸肉だったのは、間違いなく経済的理由である。
そのことを知ったのは、大人になってからだ。

我が家で焼肉といえば、豚か鶏で、大人になって初めて焼肉屋に行ったときに、牛肉が出てきて非常に面食らった。
ー牛肉なんて食べたことないー。

カレーの肉もサバの缶詰なんて当たり前で、その甘ったるい味が非常に貧乏くさいと幼いながらにも勘付いていた。

うなぎのかば焼きなんてものも、初めて食べたのは大人になってからで、「あれ?これとよく似たようなやつが家で出てたな、、」と思い出すと、ちくわを平らに開いて甘辛いたれで焼いた、’ちくわのかば焼き風’という母の創作料理であった。

あとは大体、田舎のおばんざい料理が多かったので、洋風なメニューは滅多にお目見えしなかった。

母が珍しくレトルトの’ラザニア’を買ってきたときに、今でも覚えているのだが、「こんなおいしいものがあったのか!」と大変感動して、「おかあさん、またこれ買ってきて!」と言うと、母は冷酷な眼差しで「高いからダメ」と、娘の懇願を一刀両断した。

今でもスーパーでレトルトのラザニアを見かける度に、あのうらめしい思い出が蘇るのだから、幼少期の何気ない母親の一言は絶大である。


そんな母親におばんざいばかり食べさせられていたため、わたしは極端におばんざい系のもの(切り干し大根、高野豆腐、なすの炊いたの、白和え、胡麻和えなど、、)は欲しなくなり、今でも滅多に作らない。

しかし、実家から自家製切り干し大根をもらったので、仕様がなくニンジンやお揚げさんと炊いて食卓に出した。
すると4歳の息子がほぼすべてを食いきってしまった。
普段どこの国の料理かわからんものばっかりを出しているせいか、彼はどうやら’おばんざい’を欲しているようだ。

またある時は、「おなすを焼いたのに、ちょこっと醤油をたらすの、あれうまいよなあ。おかあさん、またおなす買ってきて!」と、抜群の笑顔で言ってきたりする。

またわたしの母親の遺伝子を、息子は受け継いでるのか、と思った瞬間であった。




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# by mosottto | 2017-03-15 10:06 | エッセイ | Comments(0)

夫が恋をした




「ああ、体がふわふわして何も手がつかない」

最近の夫の状態である。

やけにぼんやりしていて、遠い目で、とろんとしている。




夫が恋をした、メキシコに。




去年メキシコ人夫妻(旦那さんは演奏家)が我が家を訪問したのが縁で、メキシコという国と繋がりを持つようになった。
メキシコに行き、たくさんのメキシコ人やキューバ人らと親交を深め、自分たちの家族のように夫のことを世話してくれた彼ら。
帰国後は絵に描いたようなメキシコかぶれの夫である。


メキシコ人夫妻が我が家に来た時に驚いたことの一つに、彼らはシャワー後に大量の香水のようなものをばっしゃばしゃと体に振りまき、家中がその匂いで包まれるのである。
よく外国人の傍に行くと、きつい香水の匂いがするが、そんなかんじである。
それが彼らの普通の身だしなみなのだ。


帰国後夫は香水をつける習慣がなかったはずなのに、うれしそうにメキシコで買った香水を体に振りまき始めた。

待ってくれ。
ここは日本だ。
お前はこってこての日本人なのだ。

心の中でそう思って夫をしげしげと見ていると、

「ああ~なつかしい、この香り。思い出すなあ~」と、にやにやと物思いにふけっている。

その香りをかいだわたしの反応は、一言で、
「くっさ!」である。
出産後、匂いに敏感になり、よく売られてる市販のシャンプー、欧米系柔軟剤、もちろんきつい香水の匂いが全部受け付けられなくなった。

「くっさ!」を連発もするも、夫は我関せずで、終いには「そのうち慣れるよ」
ふざけるな、このやろう、である。
あまりにも臭いので、外でつける分には自由だが、車内などの密室ではつけるな、と禁止令を出しておいた。

夫が恋してそんな迷惑なこともあるのだが、恋の効能がいい方に作用したこともある。
感情表現の起伏が激しい夫の性格が穏やかになり、あまり小さなことで怒らなくなったことである。(以前は朝からミクロレベルのことでキレていた)

恋ってすごい。

すごいが、近いうち、恋するメキシコに家族で訪問することになりそうな気配で、頭がぼんやりしてきた。
そしてまったくメキシコに興味のないわたしが、一番メキシコかぶれになりそうな気配を若干感じつつ、もう、日本は春がやってくる。








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# by mosottto | 2017-03-10 14:20 | エッセイ | Comments(2)


夫が日帰りで東京へ行く用事ができたので、4歳の息子も同行して父子ふたり旅が実現した。

今まで母子二人旅はけっこうあったのだが、仕事やらなんやらで多忙な父親と息子が二人で遠出するということは、一度もなかったのである。

いってこい、いってこい!と、ふたりを駅まで見送った。

新幹線に乗れるうれしさと、なんのこっちゃわからんがとにかくお出かけできる嬉しさで、意気揚々と息子は旅立っていった。


ふたりを見送ってすぐに、図書館へ車を走らせ、『毎日かあさん』(西原理恵子の漫画)を5冊借りた。
漫画しか借りない、というのは実に清々しい気分になるものだ。

そして家へ帰り、窓を開け放ち、掃除機をかけて、台所の後片付けをして家中がさっぱりとなった。

本日あまりに快晴だったため、二階の狭いベランダに折りたたみ椅子を出し、大量の干された洗濯物に囲まれながら、そこに座って漫画を広げた。

本当はおしゃれなテラスで読書、といきたいところだが、現実とはこんなもんである。

太陽の光りをさんさんと浴びながら、漫画を読みふける。
主婦にとって、これ以上の贅沢はあるだろうか?

最高だ。

声に出さずにそう思いながら、延々狭いベランダで時々洗濯物が顔にあたるのを避けながら、漫画をむさぼりつくように読んだ。

昼前に夫から東京に着いたと電話が鳴る。


昼食に缶詰のタイカレーを食べながら(もちろん狭いベランダで)そしてまた、漫画を読む。


昼過ぎにまた夫から電話が鳴る。
今から浅草に行くということらしい。

そしてまた、漫画を読む。

気づくと16時である。
洗濯物を勢いよく取り込み、気分転換にドライブをしようと’Mo better blues’というスパイクリーのジャズ映画のサントラをガンガンにかけて、車をぶっ飛ばした。
この映画のサントラの曲が、快晴でまだ浅い夕暮れどきにぴったりなのだ。
3年前くらいにジャズフェスの野外でこの曲を演奏してるバンドがいて、その時もそんな快晴の気持ちの良い夕暮れ時で、ベビーカーを押しながら、大変感動して聴いたのを思い出した。
音楽は生活が豊かになるもののひとつである。


帰宅するとすでに日は暮れて、軽い夕食をとった。
卵かけごはんである。

簡単でありながら、贅沢なごはん。
こんな夕食は家族がいたらきっと出さない。
相当みんな腹がすいてない時以外は。

5分くらいで夕食は終了し、こたつに入って寝転んでぼんやりテレビを見ていると夫から電話である。

「今から晩御飯。」
「なに食べるの?」
「広島焼」

東京に行って、広島焼!
愕然としたが、4歳児連れていろいろあちこち回って、丁度目についたのが鉄板焼き屋だったんだろうと、安易に想像できた。

息子に代わってくれて、初めてちゃんと電話越しの息子の声を聞いた。
今までは「ほら、お父さんからだよ」とか「おじいちゃんだよ」と、息子に電話をふる方だったので、自分は電話の息子の声は聞いたことがなかったのである。

「おかあさん」
わたしはあまりの電話の声のかわいさに、白目になった。

「ごはんたべてるよー」
毎日死ぬほど聞いてる息子の声が、離れて聞く電話の声がこんなにかわいいなんて。

「だいすきー」
わたしはこんなのをいつも聞いてる夫に激しく嫉妬した。
あのやろう!

電話を切り終えて、息子の電話の声を肴に、一杯やりたい気持ちだったが、後で駅まで車で迎えにいかねばならないことを思い出して、我に返った。


22時前に元気に帰ってきた息子と、かなりぐったりしてる夫。
体力的にはタフな人だが、4歳児連れの日帰り東京旅行は相当こたえた模様。


夫が撮影した動画を見ながら、息子はお茶、私たちはビールで乾杯した。
今日一日なんにもしてないのに、ビールがうまい。

あまりに慌ただしかったため、おみやげを買いそびれたと夫は謝ってきたが、この一日が’おみやげ’のような一日であった。




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# by mosottto | 2017-03-06 13:13 | エッセイ | Comments(6)


ひょんなことからゲイバー(正確にいうと、ニューハーフの飲み屋)に行くことになった。

しかも夫の叔父とである。

たまたま叔父の連れが行けなくなったので、誰か行くか?という話に
なり、「それでは私が」と手を挙げてみた。
こんな機会は滅多にないのだから、乗るしかないだろう。


自分の父親くらいの年齢の夫の叔父と、夜の祇園へ向かった。
叔父には家族共々お世話になってるが、まさかゲイバー初体験を共有するとは(叔父も初めてである)

叔父はおまじない用にと、お店に入る前にショートホープをコンビニで買っていた。
わたしは心の中で「おまじない?」と、首をかしげた。

平日の早い時間だったため、お店の中には客はおらず、わたしと叔父の前に、面接官のようにニューハーフ二人が真正面に座った。

見たところほぼきれいな女性であるが、やはり声は異様に低い。
堂々と二人とも真正面からわたしたちをガン見するので、興味本位で来ただけというのがお見通しのようで、余計に焦る。

隣の叔父をみると、ニューハーフ姉さんにホープに火をつけてもらっていた。
「(お客に)煙草に火をつけたの久しぶりだわ~」とか、
「お店で無理してお酒飲まなくてもいいの。わたし飲めないんでって言えばいいだけだし」とか、
ホステスに有るまじき発言を堂々と発する姉さんに、ぽかんとしてしまう。

勝手なイメージで、こういう店ではミッツやマツコやナジャみたいな人が出てきて、キョーレツな話芸で笑わせてくれると思っていたが、普通のきれいなホステスさんがしっとりとお酒をつくってくれたりするクラブとなんら変わりなく、わたしがここへ来てよかったのだろうか?と、やはり焦るのである。

むしろ、あんたら親子か?という謎の二人がしれっと客として入ってきたのだから、やりにくさったらないのだろう。

店内無音、両者手探り状態の空気に耐えられず、わたしは勢いよく生ビールをあおった。
そして聞かれてもいないのに、キャバクラでから回ってしゃべり倒すおっさんのごとく、べらべらしゃべり続け、姉さん二人にゲラゲラ笑われる始末。

ビールをあおり、もう家に帰りたいと思った瞬間、ママが出勤してきた。

このママこそ、イメージ通りのママであった。
女装はしてるものの、その姿はおっさんであり、喋りは漫談家もしくは噺家。
饒舌なトークは目の前でショーを観てるかのようであった。
たたみかける様な話芸に思わず唸る。

ママのプロフェッショナルぶりに実に感動した。

気づくと私たち以外にも客がちらほら来ていて、しかもグループでなくおっさん一人で来ているではないか。
羽振りよさそうなおっさん、せっかく来ているのにスマホばかりいじってママと目を合わせないおっさん、ますますわたしの興味はママ以外にも広がっていった。

そして機関銃のように客をイジリ倒すママ。


きっとここに来る客はみんなママの話芸と、イジってもらうために来ているのだと思うと納得した。

わたしもママに気持ちいいくらいにイジられ、説教されることとなった。
彼女たちは厳しくも本当のことしか言わないので、上辺だけで喋る会話よりも数倍優しさを感じるのであった。
帰り際、ママに「今度は子供連れてきなさいよお~」と言われる。



義母に子守をしてもらっていたので、早々に切り上げ家に帰ると、4歳の息子が「おかあさん、どこに行ってたの?なにしてたの?」と聞いてきたので、
「社会勉強だよ」と答えておいた。




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# by mosottto | 2017-03-05 09:56 | エッセイ | Comments(0)


去年から今年にかけて、人生で初めての体験を二度した。

一つは競馬、一つはゲイバー体験だ。


競馬自体に興味はなかったけれど、競馬場に行ってみたくて、義母と息子を誘っていった。

夫は幼少の時に、父親に散々連れられていた思い出があり、「まったく行く気がしない」とのこと。


京都競馬場、菊花賞の日であった。

競馬場の横に広い広場があり、そこにはたくさんの遊具があるので、びっくりするくらいの親子連れで賑わっていた。

息子も大喜びで駆け回っている。
義母に子守をお願いし、とりあえず馬券場にいってみる。

新聞紙を敷いて、ビールやらワンカップやらを飲みながら、赤ペン持って競馬新聞をにらみ、あーでもないこーでもないと言っているおっさんだかおばさんだかわからないような人たちで、カオスになっていた。

馬券の買い方もイマイチよくわからないので、とりあえず今から始まるレースを見に行き、頭の中だけで「何番が来そう」などと思いながら見守っていた。

ゲートが開いた瞬間、競馬場にいる大人たちが「いけーーーーい!」と、血眼で一斉に叫び始めた。

馬、勝負、金だけしかない異様な空間だ。

レースが終わると、頭を抱えるひと、満面の笑みの人、あきらめたような顔の人、顔には出さない極めて冷静な人、酒飲んでいびきかいて寝ている人たちなど、様々である。

わたしが予想だけしていた馬が一着できたので、その瞬間に馬券場に向かって、菊花賞の馬券を買うことにした。(まんまと競馬に遊ばれている)
気のよさそうなおっさんに声をかけると、何から何まで丁寧に教えてくれて、5分くらいで馬券が買えた。

馬券を握りしめて広場に戻った。
息子はおままごとに夢中である。

「お義母さん、馬券買ってきました!」と、さわやかに義母に伝えると、

「わたしも買ってくるわ!」と、非常にフットワークの軽い義母は馬券場に走っていった。

菊花賞のファンファーレが競馬場に鳴り出すと、どよどよと歓声があがり、ものすごい拍手が場内を包んだ。
競馬ファンの競馬へかける情熱みたいなものを感じ取る。

お金がかかっているので、夢中で馬を応援した。
さっきまで死ぬほど遊びまわっていた息子は、白目向いて夢の中にはいりつつあった。

結果は惨敗であったが、これは馬のことをもっと勉強して予想しないと、競馬自体を楽しめないなあと、帰り道で思うのであった。

こんな見学のような買い方ではだめだ!
何事も本気になって挑まなければ、おもしろくない。
結果はおまけのようなもので、予想する過程が何より競馬する人のエネルギーを高揚させるのである。

あいにく、馬の知識を勉強するまでの競馬への情熱を持ち合わせていなかったので、競馬の面白さを知ることはなかったのだが、こんなに多くの大人たちが熱狂するという場面を見られただけでもいい経験であった。


家に帰って競馬体験談を夫に伝えると、まったく興味がなさそうな声で、「あそこはカオスやで」とだけ返した。



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# by mosottto | 2017-02-27 11:07 | エッセイ | Comments(2)



関空まで息子と一緒に迎えにいったのだが、’あの’ラピート(難波~関空を運行する南海の特急電車である)に乗れるだけで、コサックダンスでもなんでもいい、小躍りしたい気分になった。

ホームでラピートが入ってきた瞬間も、
「ほらっラピート!来たよ!」と、息子へ言う’ふり’をしながら、実は自分が大喜びだった。
母親の異様なテンションとは裏腹に、
「あ、ほんまやね」と、息子は冷静に喜んでいた。

正直なぜラピートにそれほどの高揚感を持てるのかは、自分でもよくわかっていない。



さて夫である。
30時間のフライト(乗り継ぎ、待ち時間込)で、死神のような形相であった。

小型スーツケースと、でかいバックパッカーを背負って、髪もぼっさぼさ、太鼓に張る革も抱え、死神のような顔、もうどこの国の人で何をしてる人なのかよくわかない。
ロスでの乗り継ぎで、メキシコから来たというだけで、怪しまれたそうである。
妙に納得した。

着いて早々、息子が何か食べたいと言い出したので、空港内の飲食店街を探すが、どこも満席で人が並んでいる。
なにせ30時間フライトでふっらふら、
「これ以上は待てない!」と、死神のような顔をした夫はすたすたとフードコートのような場所へ行ったのだが、どこも満席、やっとのことで席を確保するも、キレぎみの夫。
疲れているからイラつくのだ。

しかし、夫がキレたらわたしも倍返しでキレるという、ラテン方式をとってる我が家は、感動の再会も束の間、すぐに言い合いだ。
ラリーを数回繰り返し、私たちは551の豚まんを食べて数秒後にはもとに戻っていた。
腹が満たされれば、平和なのだ。

息子は両親の下らないけんかには感知せず、終始平和に豚まんを頬張っていた。

我が家では息子が一番冷静で大人である。
反面教師がでたのかもしれない。


わたしへのメキシコ土産は、アクセサリーと、手のひらサイズのでっかい丸い水晶だった。すごい存在感だ。
織田無道を思い出した。

鉱物好きなので水晶はうれしいが、これをチョイスする辺りが、ふつうの夫ではないな、と思うのであった。







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# by mosottto | 2017-02-21 12:17 | エッセイ | Comments(0)


去年仕込んだ味噌が出来上がった。

これで完成したのか正直よくわからないが、今晩の豚汁で成果がわかるだろう。


二年前から、梅酒、梅シロップ、梅干し作りなど、梅仕事をやり始め、とうとう重い腰をあげて味噌つくりに挑戦した。

もともと、梅仕事も味噌つくりも、自然派志向だからやりだしたわけではない。

昔の人は当たり前にしていた、手間暇かけて一年熟成させて作るという工程を、一度体験したかったからだ。
発見や驚き、楽しさもあって、やってよかったと思えた。



しかし、自分という人間が、まさか梅干しや味噌を仕込みだすとは、人生どう転ぶのかわからないものだ。

うちの母親は今思うと、自然派志向の人だった。
どくだみを育てたり、お腹の調子が悪い時は梅肉エキスをなめさせられたり、草餅をつくるから土手でよもぎを摘んできてと言われ、よく兄とよもぎ摘みに行かされた。
おやつも果物や手作りの’芋ようかん’や手作りドーナツ、きなこをご飯にかけた’きなこご飯’などだった。

市販のお菓子をほとんど食べさせてもらえなかったので、友達の家に呼ばれて、キンキンに冷えたお茶の中にポッキーが10本くらい入ってるグラスを出された時は、天と地がひっくり返るほどの衝撃でのけ反ってしまったことを覚えている。

こんな食べ方があるなんて!
ポッキーってなんておいしい食べ物なんだ!

人間は極端に何かをだめと言われたりすればするほど、その反動でだめなものを求めるのだと思う。
思春期になったわたしは、ありったけの小銭を握りしめて、ポテトチップBIGやらピザポテトなどのスナック菓子を買い求め、むさぼりつくように食べるようになった。


高校の茶道の研修で行かされた精進料理も蕎麦以外まったく食べられなかった。
おいしい、おいしいと言って食べてる同級生を白い目で見てる有様だ。
「食べるもの、ないやん。刺身ってこれ、こんにゃくやん!騙されてるやん!動物性のものを摂れないからって、誤魔化して食べてるだけやん!これは不健康な食べ方や!」と、腹のワタが煮えくり返るくらいの怒りを精進料理に対してぶつけていた。


そんな思春期を過ごしていたので、料理もまったく作れない。
作れるといえば、牛乳に混ぜるだけのフルーチェくらいのものだった。(料理とは言えない)

そんなわたしが中学の卒業文集で書いた将来の夢が、「ふつうのお嫁さん」だったような気がする。

料理もなんにも出来ないような女が、どの面下げて、そんな夢を抱くのだ!と、今思えば説教ものだが、現在結婚して子供もいて、ほどほどに料理もするようになって、味噌を仕込むほどまでになったのだから、人生の帳尻合わせが絶妙というしかない。

先日4歳の息子と河原に行ったとき、息子が「おかあさん、これよもぎや!これでなにか作ろう」と言い出し、一心不乱によもぎ摘みを始めた。

息子にわたしの母の遺伝子がしっかり組み込まれてることを確信した瞬間である。

摘んできたよもぎは、天日干しして、よもぎ茶にするつもりだ。




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# by mosottto | 2017-02-21 11:08 | エッセイ | Comments(0)

漫画のような話


まだ息子が、ベビーカーに座らせても大人しく座っているくらいの時の話である。

わたしと息子は、近所を散歩をしていた。

なんとか昼寝をさそうと、必死で田んぼやら畑やらある、のどかな道を歩いていた。


ふと目先に、原付に座って休憩してる警備員のおっちゃんがいた。

ああ、休憩してはるなあ、なんてぼんやり思いながら、おっちゃんの前をベビーカーを押して横切っていった。



その約10秒後くらいである。



ど、どどどどどおーーーっと、ものすごい音をたてて、おっちゃんが追いかけてくるではないか。

丁度小さな小屋の前で、ひと気がない、死角になってる場所である。

午後の昼下がり、三十路越した母親と赤ん坊、そして警備員ーーー。


妄想力が異常に強いわたしは、一気に血の気がひいた。

「さっ、刺される!!」と、咄嗟に思った。

振り返るとおっちゃんは、目の前10センチほどの至近距離まで迫っていた。

「近い近い近い、近い!あかん、これはもうあかん」
そう思った瞬間である。



「あのう、ぼっちゃんに、どんぐりをあげてもいいですか?」

恥ずかしそうに、おっちゃんは言うのだ。


「どんぐり?ああ、はあ。」と、拍子抜けしたわたしを他所に、おっちゃんはまた猛スピードで原チャリまで戻り、いすをぱかっと開けて、ごそごそと探してから、また走って戻ってきた。

「これです」
嬉しそうな顔をしておっちゃんは手の平を見せてくれた。
ぽっこりと丸い、大きなどんぐりが乗っている。

「わあ、大きいですね。ありがとうございます」と礼して受け取ると、またおっちゃんはじいっとわたしの顔を見つめるのだ。

「あのう、もうひとつ、ぼっちゃんにどんぐりをあげてもいいですか?」
真剣な顔だ。

「はあ」と頷くと、また猛スピードで原付まで走って戻ってきた。

「これです」
満面の笑みである。

見るとさらに大きな丸いどんぐりだった。


礼を言うと、照れくさそうにおっちゃんは走っていってしまった。

まだ言葉を話せない息子に、どんぐりふたつを見せた。

不思議そうにどんぐりを見る、まん丸い息子の目。

まるで漫画から飛び出してきたようなおっちゃんだったが、あれは夢だったのか。

いや、実際にあった話である。




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# by mosottto | 2017-02-14 13:46 | エッセイ | Comments(4)

人生は、だましだまし


ネットの中古本で、田辺聖子の『人生はだましだまし』という本を注文した。

今まで中古本は何度も注文したことはあったし、だいたい’良品’と評価されてるものを選んでいるので、割ときれいな本が届くことがほとんどであった。


しかし、今回の中古品は度肝を抜かれた。


開く度に、赤鉛筆で波線や囲いの嵐。

波線を引きすぎて、真っ赤なページまである始末。

これでは本文より、この本を売った人がどの言葉に引っかかり、線を引っ張っているのかが気になり、内容がまったく入ってこない。

そしてここまで線を引くくらい、熱心に読んでるのに、なぜ古本として売りとばしたのか、ということも大変疑問にのこる。


赤線が引かれた部分、例えば抜粋させてもらうと、


少なからずものにしてきた

若盛りのころ

辛労

恨み


心痛く


難儀もあわれ

赤の他人

苦難

母子の苦境はシンプルに崇高

悲痛や憐憫

ただ夫婦して流浪するいとおしさといおうか、それこそ夫と妻の姿といおうか、その愛の深さ、信頼が彼らの運命のつたなさをきわ立たせ、みじめさ、みすぼらしさに深い陰影をつくり、人の心を打つ。

男と女の相克

この年になってまだこの苦しみにあおうとは。


菩薩の心

一刀両断

出来得べくんば


無駄な抵抗はやめろ


腹が煮えくり返り

物事のけじめ


見逃す、聞き流す、知らぬふり

かねあいのむつかしさも大人の修行

苦労はあまり人間にいいものを与えない

イチかバチかや

可愛さ余って憎さが百倍

蜜月

軋み

萎れる

収拾つかぬ騒ぎ

しゃーないしな

ほんまにワヤですわ


仄かな希望を暗示する

できることはしとんのじゃ


自分のあたまを自分で撫でてやればよい


自分の現在位置を測定するカンのよさ

人生を面白がってる男

自己陶酔と驕り

そこはかとなきこといい合うて、そこはかとなく飲む。これが品のええ酒です。

老害、老醜、老耄

キレやすし

転倒(こけ)やすし

弱きもの、その名は男、という。

血の濃さを信ずることは、もうできない

デパートの地下をデパチカというが如し

結婚は外交である。つまり駆引きと謀略に尽きる

家庭円満のコツは見て見ぬフリに尽きるなあ・・・


こむら返り

居直り

げんなり

なんか悪酔いしてきました

やけくそ

ー『人生は、だましだまし』田辺聖子 角川文庫より抜粋ー


以上一部抜粋させていただいたが、本文の赤線はまだまだあり、その赤線部分が非常に悲痛な言葉が多いと共に、なぜ、それを?という一節が引いてあったり、その謎を考えるだけで、ますます本文が頭に入ってこなくなる。

わたしだったらここで引くのになあ、という部分はすべて無視され、「その方」の気になった部分がとても新鮮に感じた次第である。

この本を売られた方、こんな風に次の貰い手が首をひねったり、面白がっていることとは思いもよらないだろう。

売ってしまったのだから、仕様がない。






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# by mosottto | 2017-02-02 15:07 | エッセイ | Comments(4)


夫が日本を発った。

約一か月、友人のメキシコ人夫妻の家にお世話になるのだが、今年40歳を迎えるおじさんのホームステイ、またはずっこけウルルン滞在記となるのか。

出発の日は、今年に入って(いや、ここ数年のうちの)記録的な大雪の日であった。

4歳の息子は大喜び、一面の銀世界に犬のようにはしゃぎまわった。
わたしも久しぶりの雪に大変テンションが上がり、無我夢中で巨大な雪だるまを作った。

しかしテンションの低い男が一人いた。

夫である。

南国のような暑さには強いのだが、寒さには対応しきれないのだという。
この世の終わりとばかりの、暗い表情で雪だるまを作る夫を、おもしろいので撮影した。
巨大雪だるまと、ひきつった顔のおっさんの図である。

早々に切り上げて、ストーブにはりつく夫を見て、この人は雪国には住めないんだろうなとぼんやり思う。


昼過ぎに、関空まで見送りに家族総出で、天下茶屋まで行き、ラピートに乗り込んだ。
京都駅から、はるかに乗る手もあったが、電車好きの息子のことを考えて、ラピートにした。

ラピートは電車の絵本でしか見たことがなかったので、実物を見て、大いに喜んだ。
しかし、息子以上に舞い上がったのは、母親であるわたしであった。

なに、この銀河鉄道999のような宇宙を想像させるフォルム!窓が丸い!この丸さがすごいなんかいいですけどっ!

電車に大して関心のないわたしでさえ、熱狂的にラピートに夢中になった次第である。

車内でやたらそわそわしながら、マイクを持つふりをして夫の口に近づけ、
「えーこの度はメキシコに行かれるとのことですが、意気込みは?!」と、地方局の情報番組に出てるタレントみたいな真似をすると、
「お前が一番舞い上がってるやないか」と、冷静に返された。

完全に舞い上がった嫁と、楽し気な息子を残して、神妙な面持ちで日本を発った夫であった。


翌日無事にメキシコ人夫妻の家に着き、数日後には腹を下して寝込んだとの連絡があった。

おいおい、大丈夫なのかと思いつつも、また数日後にはフェイスブックにライブの動画が上がっていて、ゴッリゴリのメキシコ人たちの中に混じって、歌を歌い、踊ってる夫の姿を発見した。

日本のイオンモールで浮きまくってる男が、ここメキシコではとても馴染みまくっているとは、どういうことだろう。

きっと誰も夫が「謙虚で控えめな日本人」であるとは、思いもしないだろう。

図太くて目立ちたがり屋な日本人もいるのだ。


約一か月、たくさんのものを吸収して、元気に日本に戻ってきてもらいたい。



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# by mosottto | 2017-01-26 15:11 | エッセイ | Comments(0)

日本語の妙



朝食時に、味付け海苔を出して食べてみると、なんとも陰気な湿り方をしていた。

「うわ、この海苔湿気てるわ!」と、すぐさま冷蔵庫に戻した。(雑炊用の海苔にしようと頭で考えながら。)


すると目の前でごはんを食べながら夫が、


「いったらええで」と、言った。


わたしのゆるくすっかすかの脳みそが猛スピードで回転しだした。



いったらええで?

いったら?

イッタラ?

ああ、夫はイッタラのグラスが大好きやし、急にイッタラ愛が爆発したのか。

イッタラ、ええで。

いや、でも、それはおかしい。


行ったらええで、ということかもしれない。

わたしにどこかに行ったらいい、と言っている。

どこに?

もうすぐ一人だけメキシコへ行くという(夫は来週から約一か月メキシコへ行く)、わたしへの負い目からのつぶやきか?

なんで、なんで、海苔が湿気ってる話してたのに、急に、なんで。




脳内が対応しきれずショートしかけて、難しい顔になってるわたしを見て、めんどくさそうに夫が、


「いや、だから、炒ったらええで、言うてんねん、海苔を。」


え、ああ、海苔の話か!海苔を炒ったらええで、と言っていたのか!

湿気てる海苔の活用方法を教えてくれていたのだ、夫は。


「正直なに言ってるんかわからんかったわ。イッタラがええで!って急に言い出したんかと思た。」と言うと、

「それ、ただのアホやないか」と夫は返した。


本当だ。

嫁が海苔が湿気てる!と言い、
イッタラええで!と夫は返す。

とてつもなくアホな夫婦の会話だ。


実際には、ちゃんと海苔の話題に対して、海苔の話題で返した夫は、アホではなかった。



いったらええで


という一言を、想像力を多大に膨らませ、メキシコ旅行への負い目という着地点までたどり着かせた、わたしの脳みそがアホであったのだ。




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# by mosottto | 2017-01-10 14:07 | エッセイ | Comments(0)

あたらしい世界が始まる



大晦日は21時に就寝し、元旦は6時起き。

家族で初日の出を見に向かった。


すでに人が寒そうにゆさゆさ揺れながら、東山を見つめていた。


雲がかかって、ぼんやりした東の空。

中々日が出てきてくれないので、子供たちは少し退屈しかけた表情になっていた。
そんな時に、隣の夫が、

「まだか!もう退屈してきたわ!」と、小さな子供たちよりも早く、大きな声でつぶやいた。

今年四十になるおっさんが、誰よりもこの状況に、早く飽きていたのである。

わたしは夫の横顔を凝視し、

退屈なら今すぐ帰れや!と、思った。

しばらくしてから息子が「早くおうちに帰ろうよう」と、つぶやきはじめ、わたしは、「はあ」と息を吐きながら、東の空を見つめた。


するとあっという間に日が昇り始め、真ん丸の大きな太陽がこちらを照らし、「おお」と、一斉に周りがざわめいた。

人生で初めて見た、とてもうつくしい朝日であった。

隣で夫が、
「うわ、眩しっ。目がつぶれるわ、これ。くそっ、グラサン持って来ればよかったわ!」と、めでたい日の出を前にして、不動明王のような険しい表情でつぶやいていた。



その後、夫の実家に行き、こたつでごろっとして、スポーツ新聞を広げ、嫁であるわたしは誰よりも、だらけた。


タモリが解散したSMAPへ贈ったメッセージが、一面に載っていたので、年初めの挨拶に代えたい。




’引きずらないことが大切’



今年もささやかながら、もそっと笑えることを綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。












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# by mosottto | 2017-01-03 09:56 | エッセイ | Comments(2)


写真サークルに属していながら、まったくカメラを持ち歩いていない日常と、文章だけのブログを書き続ける自分に矛盾を感じつつも、久々にカメラを持って街に出ることにした。

何を撮ろうとも決めず、ぷらぷらと歩いていると、なんだかメッセージ性の強い看板がやたら気になったので、みうらじゅん的な発想と思いつつも、わたしは記録し続けた。


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アスヘノトビラ、、いきものがかりの曲にありそうだ。


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おくりものに   たばこ

禁煙ムード満点のご時世、逆にいいかもしれない。



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かまんざどおり。
意味はないですが、好きな通りの名前。

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わたしのすきなふく
ってなんだろうか。考えなくてもいいのに、考えてしまいそうなフレーズ。

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ハイファイ堂
すごく京都的な名前だと、二度見してしまう。

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カリフォルニアの青い空。
すごいざっくりしたイメージ。
なんか壮大。
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伝えきれない愛を綴る。
、、、なんか重い。
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Don’t cry!
泣いちゃダメって言われても、泣けるよね。


目に飛び込んでくる言葉が、自分へのメッセージだと言うけど、なんだかよくわからないメッセージだよなあと、我ながら思う。



あとは気になった風景をいくつかご紹介。

老舗カフェのHello!の前を取りかかったら、電線に絡みまくってる植物の葉っぱがやたらやばい。
他人事ながら、大丈夫なのか?と心配してしまう。
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御池通りはいつ渡っても、清々しい。
特に河原町御池から東を見ると、東山がきれいだし、夕方に二条城方面を見ると、とても夕日がきれいなのだ。

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寺町二条西角に、新しい店ができていた。
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ソウルのレコードがずらり。わたしの好物ばかり。入りたかったけどまだ閉まっていた。
こういう店は営業時間がルーズそう、と思うのは勝手なイメージか。
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京都芸術センター。
ここの中庭にある(元校庭あと)を眺めるのが好きだ。

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河原町二条からの景色。
寒さとからっとした空とビルと車が、ニューヨークみたい(ニューヨークに行ったことはないです)


四条烏丸スタートで、御池へ上がり、西洞院を北へ、押小路からを上がって二条へ、鴨川すぐまで歩き、Uターン。二条木屋町を御池まで南に下がり、その後、三条通を西へ行き、東洞院を北に下がり、四条へと戻ってきた。

カメラ一個あるだけで、よくもまあこんなに歩けるものだと、我ながら感心した(途中、休憩でお茶したり、寄り道もしつつ)

カメラを持つと、視点が上に上がることにも気が付いた。

また気が向いたら、出かけよう。










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# by mosottto | 2016-12-15 15:53 | カメラ | Comments(6)


西加奈子の新刊『i』が11月30日に発売された。

ネットで予約せずに、直接書店で自分の手で取って買いたかったので、10冊くらい平積みされてる光景を思い浮かべながら、わくわくしながら書店へ向かった。

大人になって、特定の作家の新作を期待できるということは、なんて幸福なのだろうと思いながら。(小学生の頃の『りぼん』の最新号を楽しみにしていたのと一緒だ)

ところがどこを探しても見つからず(店中を五周した)、店員に「西加奈子の新刊は入ってますか?」と聞くと、首をかしげながら何やら検索しだして、「入荷は未定です」と、店員は言い放った。

信じられなった。

その店の西加奈子の棚に、「当店おすすめ作家♡」とポップを貼ってたやないか!と、心の中で思いながら。

西加奈子の本を読んだことのないような顔をした店員が、「取り寄せしますか?」と聞いてきて、速攻「いいです」と返して、次の本屋へ向かった。

わりとこだわった雑誌や本を置いている書店に、鼻息荒く着き、「ここやったらぜったい置いてるやろう!」と、血眼で探した。

この店でも五周しただろうか。

ない!

落胆しながら店員に聞くと(本日二回目)、「えっと、、、二日後に一冊入荷予定です」


信じられない。

発売日の二日後。しかも、一冊!

お前ら西加奈子にまったく期待してへんのか!と心の中で思いながら、「予約します」と、発売日後の新刊を予約するという、なんだかよくわからないことになった。

梅田の紀伊国屋なら、今頃どーんと平積みで置いてあるんやろうなと思ったが、もう町の本屋に委ねるしかなかった。


そんなこんなで、発売日から二日後に手に入った西加奈子の新刊『i』。

内戦が続くシリアをルーツに持つ少女の話。

西加奈子の「今書かなければ」という、切羽詰まった想いが感じ取れて、一気に読みあげた。

この物語には過去の実際に起きた災害や内戦のことも、平行して書かれている。

きっと平和な国に住んでいると、みんなすぐに(わたし自身も)忘れ去られているだろう事実だ。

世界では今も戦争が繰り返されているということを、体感はできないが、ニュースで知ることはできるし、その話を誰かと話すことはできる。そして伝えることも。

毎日の速度が昔よりも早すぎて、SNSの記事のようにどんどん埋もれていく前に。

今朝たまたまテレビを付けると、BSのワールドニュースで、シリアの激戦地から反体制派が撤退、政府と合意というニュースが飛び込んできた。

自分の息子と同じくらいの子供たちが疲労困憊しながら、親に手を引っ張られ歩いてる映像が流れて、正直見るのも苦しかった。

彼らはくたくたになりながら、ある人は家族を失い、自分だけが「生き残ってしまった」状態で、生きなければならない。

西加奈子の新刊でシリアというフレーズを目にしなければ、流してしまう映像だったかもしれない。

本という媒体を通して、ひとつの物語を読んで、世界の裏側の「他人事の出来事」がものすごく近くなるような気がした。

作家として、今できることをやり通した西加奈子はすごい。

自分にできることは、世界で今起こってることを知ることと、それを誰かと話すことだろう。


後日書店に行くと、西加奈子の新刊が10冊以上平積みされているのを確認して、胸をそっと撫で下ろした。



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# by mosottto | 2016-12-14 14:35 | エッセイ | Comments(0)


夕方四歳の息子がおばあちゃん家(夫の実家)に遊びに行き、そのまま晩御飯を食べて帰ってくるという。


夫は仕事でまだ帰ってきていない。
息子もいない。

しんとした静まり返った家の中。


息子がいなくても、やることはたくさんあるので、とりあえず洗濯ものをたたんだり、家事を済ませるのだが、息子がいないのでスムーズに家事が進み、途端にやることがなくなった。

ああ、今、わたしは自由な時間が過ごせるのではないか!と、一瞬興奮したが、やりたいことが在り過ぎて(読みかけの本が読みたい、録画した番組が観たい、日記が書きたい、ただただぼうっとしたいなど)あれもこれもと焦ると、結局どれもやる気になれなかった。


夫が帰ってくるまで夕飯を待とうと思っていたが、「ぐう」と腹が鳴ったので、先に食べることにした。

居間を見渡すと、息子が遊んでいたブロックやプラレールが散乱し、こたつの上にも息子が描いた落書きやちらしが散乱していた。
息子や夫が居たら、もちろん片づけてから食事するのだが、「今はひとり」という意識が先走り、わたしは途端にだらけた。


バーモントカレーをあっためて、散乱したこたつの上の紙類を軽くどけて、カレーを置くスペースだけを作った。

そこにカレーを置き、その日買った雑誌ダビンチ(西加奈子と又吉直樹の対談が読みたかったのだ)を広げ、読みながら食べ始めた。

音楽もテレビも付けず、無音でひたすらカレーを食べ、しげしげと雑誌を読みふける。

はっとした。

独身中年おやじみたいだ。

まだ36歳(もう、とも取れるが)だし、一応女性だし、子供も夫もいるけれども。

もうちょっとどうにかならなかったのか。花の一輪でも置いて、シャンパンでも片手に、一人時間を満喫できなかったのか。

それと同時に、もし自分が結婚せず子供がいない人生を送っていたとしたら、こんなだらけた生活になっていたのかもしれない。

そう思うと背筋がぞくぞくした。

しんとした部屋が、無性にさみしく思えた。

子供がいたらいたで大変だしうるさいし、ひっちゃかめっちゃかな毎日だけど、楽しみは家族分に増えるし、喜びも大きい。

ないものねだりで、ぎゃあぎゃあ騒ぐ子供がいると「ああ、静かにごはんを食べたい」そう思っても、子供がいなかったら「静かすぎる」と、さみしくなるものだ。


それにしても、この風景はやばすぎる、でも、だらけたい、そう思った瞬間に夫が帰ってくる音がした。

「やばい」そう思って、信じられないスピードで散乱したおもちゃや、こたつの上のちらしなどを片付けた。

中年おやじから、途端に母親が突然帰ってきてエロ本を隠す中二男子みたいになる。

夫はきれい好きなので、わたしのだらけた適当なかんじがゆるせないらしく、いつも懇々と怒られている。

怒られるのが嫌だと思い、無我夢中で片付けた。
片づけた後は、何事もなかったかのように涼しい顔で「おかえりー」と、出迎えた。

「やっぱ子供がいないと、静かやな。なんかひとりで食べてたらさみしくなったわ」と夫に言うと、一瞬憐れんだ顔をして、「ほな、一緒に食べよか」と夫は言った。

熟年夫婦のように黙々とバーモントカレーを食べる夫婦。
録画しておいた、日曜美術館のダリ特集を、二人でじっとみた。

「ダリ、男前やな」そうつぶやいた瞬間、

おばあちゃんに送られて息子が帰ってきた。

「ただいまー!」
希望に満ちた声である。




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# by mosottto | 2016-12-10 20:46 | エッセイ | Comments(2)

映画、海よりもまだ深く


是枝裕和監督の新作映画『海よりもまだ深く』を観に行った。

少し前に購入した雑誌SWITCHの樹木希林特集(わたしは樹木希林のファンなのです)で、是枝監督とのインタビューやこの映画についても書かれていたので、興味があったのだ。

でも是枝監督の映画は一本も観たことがなかったので、予習の意味で、『歩いても歩いても』をTSUTAYAで借りてみた。

うわ、辛気くさいホームドラマやな、と正直に思った。

だから今回の新作も辛気くさかったらどうしよう、と中々気が進まなかったのだが、タイミングよく京都シネマに行く機会ができたのだ。


しかし幕が開いたら、辛気くさいとは程遠い、どうしようもないくらいユーモアにあふれた映画で、この映画の主人公のキャラクター(親のすねをかじって、嫁に愛想をつかされた、売れない小説家)がうちの夫にそっくりだったので、もう笑うしかなかった。

映画の中が、現実なのか、現実が映画なのか、もはやわからない状態になってしまうくらい、「うちのどたばたホームドラマ」を観ているようだった。

うちの夫はこの主人公のようにギャンブルをするわけでもないし、嫁(わたし)に愛想を尽かされ離婚してるわけでもないけれど、「結婚にまったく向かない男」ということと、「夢を追いかけてる男」という共通点がまったく一緒で、醸し出してる空気感がほぼ夫であった。
だからある意味笑えない映画なのだけど、もう声をだして笑うしかないのだ。


あー、いい映画だった、とぼんやりエンドロールを眺めていたら、なんと終わりに是枝監督が登場した。
実は今日は監督による舞台挨拶だったのだ!

お客さんの質問に答えるコーナーがあり、会場の是枝ファンが質問
していた。もう今日で4回目です、という方も。
同じ映画を劇場で4回て、すごい。

隣に座っていた青年が緊張しながら手を挙げた。

「監督の映画は大変ミニマムな作りの映画が多いと思うのですが、、」と喋り出した。
真顔で「ミニマム」と発する人を初めて見て、少し引いた。

なんだよ、ミニマムって。日本語で言ってくれよと、心の中で思いながら、質問コーナーは終わってしまった。


その後も監督は劇場に残っていたので、パンフレットにサインをしてもらった。

もちろん、「あの主人公、夫そのままでした!」と報告。

監督は「あ、観ててイラついた?」と、聞いてくれたのだが、イラつきはしなかったのだ。

観終わったら、あの主人公もあの映画もまるごと愛おしく感じだのだ。
自分の人生も家族も、まるごとおもしろいわ、と思えるくらいに。


ほんと素敵な映画だった。
樹木希林さんは最初この映画の出演を断っていたらしいが、観たら、希林さんにしかこの役はやれない、希林さん以外にこの役を演じられる人はいないと思った。
さすがだ。
阿部寛の人間味あふれる演技もだいすきだ。





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# by mosottto | 2016-12-09 14:17 | 映画のこと | Comments(2)


京都に愛宕山という山がある。

子供が三歳までに上ると、その子は一生火の難から免れるという言い伝えがあるらしく、息子が二歳の時に、夫が突然登ろうと言い出した。

なんでわざわざしんどい思いして、山になんて登らないといけないんだ!と、子供の様に「嫌だ、登りたくない」と拒んだ。

夫はもともとアウトドア派なので登山したかったらしいのだが、わたしは正直家でゴロゴロしていたいのだ。


結局は息子のためだけという理由で、渋々承諾した。

1000m近い山なので、二歳の息子が自力登頂できるはずもなく、長らく使ってなかったおんぶ紐をリュックに詰め込みながら、憂鬱な気分になった。

こうなったら楽しみといえば、登頂してから食べるお弁当しかない。
はりきって朝からから揚げを阿保ほど揚げて、おにぎりも5人家族分くらい握って用意した。
お菓子も、お茶も、、とあれこれリュックに詰め込んだら、10キロ以上の重さになっていた。
まったく登山がどういうものかを理解せず、ピクニック感覚であった。

そのパンパンのリュックを背負ったら、一瞬ふらっとした。
ますます憂鬱になった。


清滝まで車で行き、いざ登山である。
愛宕山は最初の傾斜がきついということを知らず、びっくりするほどのおにぎりを詰め込んだリュックを背負いながら歩きだしたら、頭が真っ白になった。

前を見ると、5分も経っていないのに、息子は「おんぶー」と、夫に全体重を預けていた。

息子をおぶっても体力がある夫は、スタスタと登っていくが、体力ゼロ、やる気ゼロのわたしは、よたよた歩きなのでどんどん引き離されていく。


だんだん腹が立ってきて、「山になんて登りたくなかったんや!」と絶叫すると、夫とケンカになった。

「なんでやねん!」「うるさいわ、ぼけ!」と、見るに耐えられない幼稚なケンカになり、下山してきたおっさんたちが、こちらを
ちらっと見て引いていた。

ある程度、罵詈雑言を吐き出したらすっとして、気持ちを入れなおして、がしがし歩き出した。

そのわたしのやる気スイッチを察知した夫は、

「そうや!そのガッツや!それが見たかったんや!」と、アニマル浜口ばりに喜んでいた。

誰やねん、と心の中で思って、体育会系のノリの夫を無視してひたすら黙々と登り続けた。

途中でお母さんんじゃないとダメモードになった息子をおんぶすると、おにぎりリュックより軽かった。
息子は12、3キロ。わたしはどれだけのおにぎりを詰め込んだのだろうと、ぞっとした。

それでも傾斜がきつい山を二歳児おぶっての登山は、意識が飛ぶくらいハードであった。
実際に、辛すぎて記憶がない。
人間辛すぎることはすぐに忘れてしまえるという、素晴らしい装置があるのだと知った。

気が付いたら登頂で、その解放感にほっとした。

信じられない量のお弁当を平らげ、下山するというのに、体が重くなり、後悔した。

下山したら、体はへとへとなんだろうなと思っていたら、びっくりするくらい体が軽くなっていた。
ふわふわと宙に浮いてるような爽快感、ランニングハイならぬ、登山ハイ。
あまりに軽すぎて楽しすぎて笑っていたら、横で夫が引いていた。

普段運動しない自分の体力のピークを大幅に越えてしまって、逆におかしくなってしまったようだ。


「いや~登山ってほんと、楽しいわ!爽快!!ねえねえ、次はどの山に登る?!」と、登山前のリアクションとは真逆になってるわたしを見て、夫はうんざりした顔をしていた。




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# by mosottto | 2016-11-27 13:38 | エッセイ | Comments(4)


前に手相を観てもらった時に、おばちゃんに「あーた、海外と縁があるわね」と言われたことがある。

え、と思った。

海外なんてフランスとグアムという王道中の王道の(しかもツアー)ところへしか行ったことがないわたしである。

一方夫は、タイや台湾、ブラジルには一年住んで(公園で野宿もしていたそうだ)、メキシコをバックパッカーで周り、キューバに二年住んでいた人である。
キューバでは日本人には思われず、ボリビア人に間違われ、現地のキューバ人に「おまえキューバ人みたいやな」と言われたほどだ。

どう見ても、縁があるのは夫だろ!と思うのだが、ふと思い出した。

独身時代に住んでいたアパートでの出来事である。

同じ階に、魔法使いにしか見えない風貌のおばあちゃんが住んでいた。
アパートの入り口ですれ違った時に、

「ちょっとちょっと!あんた、どこの留学生や!」と、身を乗り出して迫ってきたので呆然としていると、

「中国か?!中国からの留学生か!」と、はっきり断言されたので、

「イエ、ワタシハ ニホンジンデス」と、なぜか片言口調で答えたら、

「ほー、中国から留学大変やな」と、わたしを中国人と間違えたまま、おばあちゃんは部屋に帰ってしまった。

それ以降も何回かすれ違う度に、留学生呼ばわりされていた。


あの日本人を超えた、魔法使いみたいな風貌のおばちゃんが、未だに謎である。




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# by mosottto | 2016-11-25 15:38 | エッセイ | Comments(2)



気に入った店には足繁く通ってしまう方なので、すぐに店の顔馴染になってしまう。(独身時代週一で通ってたカレー屋では、「○○さんとお知合いですよね?」と、素性がすぐにバレてしまって、ものすごく恥ずかしかった。)

顔馴染になってしまったら、一々会話を交わさないといけなくなるので(4ラリーくらいだろうか)、面倒になってしまって、一気に通わなくなるのだ。



そんなわたし、最近TSUTAYAのヘビーユーザーである。

三日に一度くらいは通ってる。


映画をいろいろ観出して、ちょっと重いテーマのものが多かったので、頭の中でバランスがとれなくなり、お笑いのDVDを借りて脳をふわっとさせようと思ったのだ。


アメトークを中心に観ていたら止まらなくなり、久しぶりにすべらない話なんかにも手を付けだした。

兵藤や、原西、やっぱおもろいなあと思いながら腹を抱えて深夜に一人で爆笑していた。


いつも大体同じ時間に返しにいくので、カウンターの人が同じことが続いていた。
50手前くらいの女性である。

「あ、この人また来てはるわ。お笑い好きやなあ」って、思ってるん違うやろかと、内心推測し始めるようになった。

でも毎日いろんなお客さんが来て、流れ作業のように受け付けてるわけやし、一々誰が何借りてるかなんて見いひんよな、とも思った。


そんな中、今日も堂々とお笑いDVDをばこーんとカウンターに置くと、いつものおばちゃんだった。

はっとした顔になったおばちゃんは、
「これ、一人で出てはるんですかね?」と、聞いてきた。
業務的な話なのか?と一瞬聞き間違えた?とも思ったが、どうやら、すべらない話に松っちゃん一人で出演してるかどうかということだった。

「いえ、ゲストの方が何人か出られてて」
「あ、そうですか。おもしろいですか?」
「いや~ゲストにもよりますね。」
「ああ~そうなんですね、前から気になってたんですよね!」
と、わたしとおばちゃんの微妙なラリーが繰り返された。

極めつけは、今まで業務的な「ありがとうございました」だったのが、いきなり「いつもありがとうございます!またお越しくださいっ!」と、満面の笑みに変わったことだ。

なに、一気に心開いとんねん!と、心の中でツッコんでしまうほどに。

(以前某コーヒーショップで、店の方針なのか、気さくにお客さんに喋りかけよとの業務命令なのか、棒読みで「今日は、いい天気ですね」と、固まった顔で言われた時よりは、おばちゃんの接客はスムーズだったけれども!)

きっと店員の間では、「最近お笑いにハマってて、たま~に暗そうな映画を借りていく人」と裏で言われているだろう。

気さくな人と思われて喋りかけられたのかもしれないが、ビデオ屋の店員とのフリートークは、何かとても恥ずかしい気になるのはなぜだろう。




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# by mosottto | 2016-11-22 16:59 | エッセイ | Comments(4)



昔からあだ名というものをつけられたことがなかった。

小学生の時は、ちびまる子ちゃんに出てくる’野口さん’(布団の中でラジオを聞いてくすくす笑っているような暗い子)みたいな得体のしれないような存在だったので、同級生からは名字でさん付けで呼ばれていた。

あだ名をつけられず、一生を終えるのか、地味な人生や、、とぼんやり思っていたら、社会人になってからぽつぽつとつけられるようになった。

20歳くらいの時に働いてたバイト先では「ジョー」

20代後半で働いてたカフェでは、「タミー」

いずれも外人かぶれした名前だ。


結婚、出産後はもうそんなあだ名を誰にもつけられることはないだろうと思っていた。
ところが先日、保育所に息子を迎えに行ったとき、年中さんの男の子が、わたしめがけて走ってきて、ファイティングポーズをとった。
「お?やんのか」と、その子を見つめていたら、

その子はわたしを指さし、

「チェリーちゃんっ!!」と、大声で吐き捨ててどこかに走っていった。

チェリーちゃん、、
息子は一瞬こっちをちらっと見ただけで、ノーリアクションだった。


その数日後、息子が急にわたしのことを「はなこさん」と呼ぶようになった。
はなこさんの出所はまったくわからない。

「ねえねえ、はなこさん、ちょっとそれ取ってくれる?」
「はなこさん、恐竜ごっこしよう!」
といった具合に。

チェリーちゃんに、はなこさん。

もう、わけがわからない。


あだ名をつけられてこなかったので、すこし嬉しい気もするが、戸惑いのほうが大きい。





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# by mosottto | 2016-11-16 15:19 | エッセイ | Comments(0)


某日、早朝。
誰も人は来ないだろうと思って、寝起きの恰好で息子の靴を玄関先で、ごしごし洗っていた。

寝起きの恰好というのは、首が冷えるので粗品でよく貰う会社名が入った薄いタオルを首に巻き、頭はぼっさぼさ、ちょっと首回りがだるっと伸びたユニクロのトレーナーに、腰が冷えるので腹巻、ちょっともけっとした靴下にサンダル、というスタイルである。
もちろん化粧はしていないので、眉毛がほぼない(正確に言うと、柴犬のようにちょろっと生えている)

そんな恰好で必死に靴を洗っていると、ふと気配を感じた。

ちらっと見ると、隣の家の奥さんが立っていた(わたしよりたぶん年下)。
化粧もばっちりされて、ちゃんとした服を着ている。

「あっ」と小さな声を出した奥さんの口元は、明らかに笑うのをこらえている口元で、目は完全に笑っていた。


「あの、これ」と、回覧板を手渡そうとする奥さんに、へらっとした気持ち悪い愛想笑いで受け取ってしまった。

二人の間に微妙な気まずい空気が流れ、そそくさと奥さんは家に戻った。

きっと、化粧をして服を着替えていたら、「おはようございますっ」と、自信をもって元気に挨拶できただろう。

なぜあんな気持ち悪い笑いを返してしまったのだろう。

そして隣の奥さんも早朝に回覧板持ってくるなんて。

とりあえず今のは幻だと思いながら、靴を思いきりごしごしと洗った。







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# by mosottto | 2016-11-15 15:16 | エッセイ | Comments(0)

永い言い訳


西川美和監督の最新映画、’永い言い訳’を観に行ってきた。

その前に、初期の作品’蛇イチゴ’のDVDを夫と観たのだが、

「ただでさえ日常生活が嫌なこと多いのに、映画の中でもヒリヒリになりたくない。こんな映画は嫌いや!」と言い放った夫。

「人の好きな映画をぼろくそ言うな!自分の心の中だけで思っとけ!」と、わたしは抗議した。

夫は西川監督の描く、「人間のだめな部分」というテーマが嫌なようである。
以前も書いたが、夫は映画に大変感情移入するタイプなので、ダメな登場人物たちと同じようにヒリヒリしてしまうらしい。
なので、観ていて非常につらいのだ。

わたしは、人間が持ってるだめな部分こそが、ザ・人間!と思ってるので、見ていて登場人物が愛すべき人に思えるし、ほー、この俳優さんそういう演技するんか、とか、へー、こんな撮り方あるんか、とか、作品全体を見渡してるような見方をしているため、まったく感情移入しない。

どっちの見方が良い悪いもないだろうし、人の視点なんて十人十色でいいじゃないかとも思うが、自分が嫌な気分になったからといって、目の前でこんなクソ映画と言われると、非常に腹立たしい。

「うるさいわ、ぼけ」と思いながら、意気揚々と映画館へ向かった。

京都シネマという、大変狭い劇場が、ほぼ満席に埋まっていた。

シニア世代が異様に多い。
’ディアドクター’で知ってファンになった層だろうか。わたしはまだ’ディアドクター’を観ていないけど、勝手にそんな気がした。


映画はすごく完成度が高くて、見やすい映画だった。
くすっと笑ってしまうシーンもあるし、どこかほっこりする。

あまりに完成度が高すぎて、見終わってからぼんやりしてしまった。

そのあと、フランス×ドイツ×ユーゴスラビア合作のサラエボ出身の監督の’黒猫 白猫’を夫と観る。

とにかく奇想天外、はちゃめちゃで奇天烈な映画だったけど、夫は大絶賛していた。
昔のドリフのコントに近いかんじ。んな、あほな、と何度もツッコんでしまった。

登場人物はみんな奇天烈、嘘はつかず、みんなやりたいことをするという、ここ日本においては中々のはみ出しキャラなのだが、みんな奇天烈だから誰も浮いていない。
ストレートな夫にはこの映画の世界観がぐっとくるらしい。

たぶん夫が’永い言い訳’を観たら、発狂するだろう。

わたしは対極の映画を同時に観て、もうお腹がいっぱいだ。






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# by mosottto | 2016-11-09 14:26 | 映画のこと | Comments(2)

ベトナムタクシー


車で15分ほどの滅多に来ない公園で、息子と遊んでいた。

落ち葉が舞い、秋らしい風景に、おっそろしく冷たい風。

寒いので息子とただただ走った。走った直後はあたたまるが、すぐに体は冷え切ってしまう。

コアラの子供用の乗り物を、「いけーーー!」と叫びながら競馬騎手のように乗っている息子を見つめながら、「早く帰りたい」と思っていた。

なんとか息子が帰る気になって、しめしめと思っていたら、近くからにぎやかな声。
5,6人の女性たちで、日本語を喋っていない。アジア系の顔立ち。声がものすごくでかくて、なんだか楽しそうである。
こんな観光スポットでもないところなのになあと思いながら歩いてたら、一人の女性がスマホを持ってニコニコしながら近づいてきた。

ああ、写真ね。そう思って待機していたら、

「スミマセン、ココ イキタイデス」

片言の日本語話す女性に、聞きなれない言葉を話しながらスマホを指さす女性。一斉にとにかく話しかけらる。

まとめると、どうやら京都駅に行きたいらしい。

その公園が最寄駅からかなり遠くにあり、タクシーを拾っていったほうがいいと伝えると、「タクシーは?」ということになった。

「ちょっと待ってね」と、わたしが調べようとすると、女性たちは満面の笑みで「スミマセーン!」と、言った。


通りで待っていても中々タクシーはつかまらないし、配車をしてもらえるようにタクシー会社に電話した。
数件電話したが、繋がらなかったり、空車がないとのことだった。


ああ、、と途方に暮れかけて、ぱっと遠くを眺めると、その女性たちに抱っこされた息子は楽しそうに、写真を撮ってわいわいしていた。
「カワイイ、カワイイ」と言われながら、息子もまんざらでもない顔をしている。

なんだか、楽しそうだな、と思いながら、
「タクシーつかまらないから、うちの車に乗って、最寄り駅まで送るよ」というと、彼女たちはまたもや満面の笑みで、「アリガトウゴザイマーッス!」と言った。

車に乗ったはいいが、後部座席を振り返ると、定員オーバー、インドのバスか!と思うくらいのキュウキュウぶりだった。(うちの車はただの乗用車です)
「オッケー!!」と口を揃えて笑う彼女たちに、「もう、いい、なんとなる」と思いながら、アクセルをふんだ。

どうやら彼女たちはベトナムから来ていて、日本で仕事をしているそうである。今日は観光でうろついてるようだ。

どこに住んでいるの?と聞くと、「じゅーそー」
ああ、十三!大阪ね、と言うと、「ノーノー、キョウト!」

京都にじゅうそうってあったけ?

なんていう、よくわかならい会話をし続けた。

一人の女の子が「でんしゃ」のことを、「じてんしゃはどこ?」と間違って聞いていたので、後部座席の友達に「あんた、ちがうわ!」(ベトナム語で)と、後ろからばしっ!と、はたかれていた。
ベトナムでも、ツッコミ文化があるのかと一瞬目を見張る。


そして「ベトナムといえば、、フォー(ベトナムの麺)が好き」と言うと、彼女たちは一斉に盛り上がり、「ああ、フォーね!!」と大いに喜んだ。


ぱっと息子を見ると、生まれた時から彼女たちの傍で暮らしていたかのような、くつろいだ顔をしていた。

にぎやかなずっこけベトナムタクシーツアーはJRの最寄り駅で終了した。
「これに乗ったら、京都駅すぐやし」と伝えると、「アリガトウゴザイマース!」と、みんないい笑顔をくれた。

比較的日本語が喋る女の子が、「フォーをあなたに贈りたいから、住所を教えてほしい」と言ってきた。
レシートの裏に住所と名前を書いて彼女に渡した。

「アリガトウ!!」と、彼女と握手して、みんなを見送った。

ちゃんと彼女たちが京都駅に着けるか、フォーが送られてくるかどうかわからないが、ベトナムの女性の目はきらきらときれいで、どこか親しみがわくすてきな笑顔であった。


家に着くまで妙にテンションが上がり、昨日作ったバーモントカレーを息子と食べながら、ほっこりした。



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# by mosottto | 2016-11-06 19:38 | エッセイ | Comments(0)

父と娘の共通点

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我が家のトイレの前に張り紙がしてあった(写真参照)。

わたしがいつも電気つけっぱなしなので、夫が電気消せよと、張り紙をしたのだ。


「あぱが ら るす」とは、スペイン語で「電気消せ」という意味らしい。

夫は生粋の日本人である。

わたしも日本人だ。英語はおろかスペイン語のスの字も知らない。

なのになぜ、スペイン語なのだ!


まあ、そんなことはどうだっていいだろう。

この張り紙をぼんやり見て、ふと思い出した。

「あ、わたしこんな張り紙書いたことある!」と。


30年以上前、父親が戸を最後まで閉めなかったり、いつも電気つけっぱなしだったりで、いつも母がぼやいていた。(母はとてもしっかり者で厳しく、父はのんきな方である)

幼き私は、きちんとしてても、してなくても、ドアがちょっと開いてようが開いてなくても、そんなこたあどうでもいいやろ、と内心では思っていた。
なぜ、母があんなにキーキー怒ってるのかもよくわからなかった。

しかし怒りっぱなしの母を見てるのも正直しんどいので、父に向けてトイレに張り紙を貼ったのだ。
イラストつきで、大きく電気をちゃんと消して!と。


30年以上時が流れ、あれ?今度は自分が張り紙されてるではないか!

驚愕だ。

3歳の息子にも、「お母さん、ちゃんと最後まで閉めんとあかんやろ。出しっぱなしやん」などと、怒られている。

息子に注意されるたびに、自分のだらしなさが浮き彫りになっていくようだ。




父親と娘の共通点を30年目にして見つけた。







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# by mosottto | 2016-11-04 11:40 | エッセイ | Comments(0)


休日の午前中、だだっ広い公園で、突然わたしはラグビーの練習をさせられることになった。


夫がラグビー部だったので、五郎丸が騒がれる前から、ずっと息子にラグビーを教えようと、子供用のラグビーボールを買って鼻息荒くしていたのだ。

しかし、2歳(当時)の息子は、まったく関心を示さず、4歳になる今でも気持ちいいくらいに無関心だ。

途方に暮れた夫は、隣でぼうっと立っているわたしに狙いを定め、ラグビーボールを投げてきたというわけだ。


ほとんど夫の練習につき合わされている。

ラグビー経験者でもなければ、運動能力ゼロの嫁をつかまえて、ラグビーって、どういうことなんだ。


走ってパスするという、ランパスに始まり、夫が蹴ったボールを取りに行くなど、ほぼしごきに近い。

しかも、夫が加減したボールを受け止めるのでも、結構な力がいる。


「うおっ」「ごっ」「だはっ」「のうっ」
など、人生で出したことのないうめき声が出てきてしまう。

うめく度に、夫は「だはははは」と、遠くで笑っている。

心の中で「このやろう」と、思いながら全力で夫に投げ返すのだが、ゆるやかな放物線を描いて、「ぱすっ」と軽い音をたてるだけだった。

自分の腕力、肩の弱さにへどがでる思いだった。



ラグビー千本ノックを受けてる間に、息子はどうしてるのかというと、公園に落ちてるどんぐりを皿に入れ、どろどろの水を入れて、木の棒でかき混ぜていた。

「どんぐりスープ作ってんねん」と、息子は息子でなんだか忙しそうだ。


思い切りボールを投げる夫に、欽ちゃん走りでボールを追いかける嫁、そしてすごくえぐそうなどんぐりスープをつくる息子。
もう、わけがわからない。

そんな平和な休日だった。



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# by mosottto | 2016-11-01 09:58 | エッセイ | Comments(0)


参加している写真サークルのオンライン写真展が11月1日~始まります。

わたしも数枚参加していますが(どうぞ探してみてくださいね)、みなさん、独自の世界観ありで、息を吸うのを忘れて見てしまい、ひとりむせかえってしまいました。

みなさん、足を運ぶ写真展のように、ゆっくりご覧ください!

「写真展 光のとおり道」です。



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# by mosottto | 2016-10-30 16:17 | 写真展 | Comments(4)